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同性婚反対派の理由の根底にあるものは何なのだろうか。

昨晩、ふと「日本における同性婚反対派の反対理由」って何なのだろうか、また「仮に日本で同性婚を法制化するためにはどういうプロセスを経れば良いのか」と思い、気になって自身が調べられる範囲で調べてようと思ってちょっとドツボにハマった。(後者に関しては、また別途書こうと思う。今回は前者中心に書きます)

なんとなくこの同性婚問題は、僕自身、比較的性的マイノリティーと呼ばれる方々の知人・友人が多いこともあり、「賛成・推進派=正しい」、「反対派=悪者」と二項対立的に見ていたし、自身も「賛成」寄りで、そんなに反対派の事を深く知ろうとも思っていなかった

しかし、ふとファシリテーターマインドが目覚め(?)「自身は中立的にこの問題を捉えていないじゃないか!これはファシリテーターとしてあるまじきことじゃないか!」と大きく反省したのが、調べてみたくなったキッカケである。(もともとは東北の防潮堤問題の時に、中立であろうと努力した経験が大きな背景としてある)

反対理由に関しては、なんとなく「右派・保守な方々が伝統的家族観の崩壊を招くことを心配しており、その意向を汲んだ一部の保守系国会議員が強く反対している」という事は理解していたが、なぜ彼らが「その崩壊を食い止め、守りたいのか?」という思いの根っこや歴史的経緯みたいなものについて深く考えたことは無かった。(なんか怖いし・・・)

ただ、ファシリテーターとして、まずはそれを正しく知り(正しい、正しくないや、共感できる、できないは別にして)その想いを理解し、受け止めてみたいと思った。

で、軽く気持ちでネットサーフィンをしたものの、探せども探せども、なかなか核心が見つからない。(削除されたものもきっとあるはずだ)結果、近しいものとしてこのニューヨーク・タイムズの記事(全文読むには会員登録の必要がある)と、その神道政治連盟が発行する機関紙(問題話題になったNo215は削除されている。)に行き着いた。

伝統的家族観の起源となる家制度とは?

一旦、明治から始まる伝統的家族観の形成過程について整理する。

まず、日本における「家制度」が、1898年の明治民法で始まった。

上記のページによれば、家は「家名・家産・家業を基盤として、これらが超世代的に継承されることを目的とする集団」であり、家長である戸主とその家族で構成され、原則として戸主は男性だった。

戸主にはその家族を統括するための強い権限が認められ、家産をすべて管理した。一方で、両親、祖父母などの存続を最優先とする扶養義務や祖先祭祀、家名の存続と発展のための務めが課されていた。

また、父のみが子どもの親権、家督相続権をもったが、妻にはこれらの権利はまったくなかった。さらに厳格な貞操義務が課され、妻の不貞は離婚原因となったが、夫の不貞は誰かの妻と姦通し、その夫が告訴して姦通罪で処罰されたときのみ離婚原因になるなど、家制度は、男女不平等な法制度だったようだ。

尚、裏には政治的な目的があると言われ、天皇制の国家体制を支えるために、家長である戸主と家族の関係を天皇と国民の関係になぞらえたようだ。(天皇は国の家長である、という考えは、親孝行などを説く教育勅語などを通じて浸透していったという)

しかし、家制度は戦後、GHQの初期占領政策として、基本的人権の尊重が確立し、女性にも男性と同等の権利が与えられ、憲法24条(「家庭生活における個人の尊厳」と「両性の本質的平等」について規定)に反するとして1947年に廃止された。

ただし、現在も家族が同じ苗字を持ったり、戸主が家族を統制する「家父長制」の考え方は残っており、「選択的夫婦別氏制度」や「同性婚」が認められないのは、この家制度を起源とする伝統的家族観が大きな理由となっている。

なぜ、伝統的家族観を守りたいのか?

上記ともつながるが、では、「なぜ伝統的家族観をなぜ守りたいのか」
それについて、「守りたい側」が直接的にきちんとロジカルにメリットを主張し、記事になっているものが見当たらず、とても困ったが以下の2つの記事(いずれも比較的、中立と言うより同性婚賛成派による反対派批判のような体裁にも見える)に行き着いた。

それらを総合すると、「守りたい理由」は

「個」ではなく「国家」を、「女」より「男」を優先したいから

という気持ちが根底にあるのだと読めた。(違ったらごめんなさい)

もう少しブレイクダウンすると以下のように読めた。

  • そもそも婚姻とは男女の対等を前提にしていない。現状維持によって「男による女の支配」構造を変えたくない。

  • 日本国憲法によって「個人主義」が広められ、それが日本や、日本の伝統的な家族を崩壊させた。何より大切なのが「国家」で、それを支えるベースは(戦前型の)「家族」である。だから「家族が崩壊したら国家が崩壊する。勝手な結婚や離婚が増えて、日本の家族は既に崩壊の危機にある」という危機感を抱いている。

まあ、たしかにそれを聞くと内容にほとんど共感できないにせよ、「まあ、それが政治的主張の一丁目一番地だし、存在理由でもあるだろうから、そう思うことに全く違和感がない」と感じたし、彼らがこの考えを根本から変えるにはほぼ不可能だろうとも思った。故に一旦の受け止めは出来た。が、一次情報ではないので、一抹の不安は残るのも事実だが。。。


以下、両記事の一部抜粋である。

家父長的家族を温存したい反対派

選択的別姓にせよ、同性婚にせよ、何が反対派をこれほど意固地にさせているのだろうか。彼(女)ら自身はなぜか、主張の核心に何が控えているかをなかなか語らない。私が見るところ、それは家庭内で男が女を支配する権力構造、すなわち家父長的家族を温存することにある。夫婦別姓になることは、男女が対等になること意味する。同性同士でも結婚できるとすれば、婚姻が「男が女を支配する容れ物」であるという前提は成り立たなくなる。

こう考えると、伝統家族が崩壊するとか、家族の根幹にかかわるといった言辞を弄する反対派のホンネが露見する。戦前の「家」制度の残りかす、「男による女の支配」構造にしがみつきたい人たちが抵抗勢力となっているのである。自民党の女性議員にその同盟者(ないし旗振り役)が少なくないのは、そうした男女の不平等な権力関係をむしろ利用して自分がのし上がったことを、彼女たちがよく自覚しているからであろう。

「戦後の、GHQによる一連の改革は、『個』が大事だと洗脳されて、みんなが個人、個人、とばかり言うようになった」というのが彼らの考え。
「その結果、みんながわがままになって少子化が進むし、家族の崩壊が起こるしで、日本は大変なことになっている」と主張しています。
 そして、「そうなった原因はすべて『個人主義』を広めた日本国憲法にあるのだ!」という言い方を、よくしています。
右派はそれを「日本や、日本の伝統的な家族を崩壊させた」と言うんです。どうもその人たちが守りたい「伝統的な日本の家族」というのは、戦前の封建的な「家制度の家族」のようです。
(中略)
日本会議などの右派にとっては何より大切なのが「国家」で、それを支えるベースは(戦前型の)「家族」である、という考え方が一般的です。そして「家族が崩壊したら国家が崩壊する。勝手な結婚や離婚が増えて、日本の家族は既に崩壊の危機にある」という危機感を抱いている。


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