見出し画像

「校正は、じつは、ルールと心情のあいだで揺れ動く、とても人間的な作業なのである。」『カンマの女王』訳者あとがき公開

メアリ・ノリス著『カンマの女王: 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話』の訳者・有好宏文さんによる訳者あとがきを公開します。

誤字・脱字や言葉の誤用を正す「校正」。ベテラン校正者の眼を通じて見るそれは、規則と心情とのあいだで揺れ動く、意外なほど人間らしい仕事だった! 
アメリカの老舗雑誌『THE NEW YORKER』の校正担当者で、“Comma Queen“〈カンマの女王〉の異名をもつ著者が、その半生と、校正の現場で遭遇したミスや「揺れ」を振り返る──。“between You and I”のようなネイティブでも間違える文法や語法、ディケンズ、メルヴィル、ディキンソンら著名作家たちが操る記号──カンマやダッシュ、コロン──の独特な使い方、クセが強い校正者たちのエピソード、トランスジェンダーのきょうだいを呼ぶときの代名詞etc…。「正しい英文法」だけでは白黒つけられない、迷いと葛藤の日々を描く唯一無二の校正エッセイ!
読書案内、索引あり。
【訳者略歴】
有好宏文(ありよし・ひろふみ)
1987年北海道旭川市生まれ。京都大学文学部卒、読売新聞記者をへて、早稲田大学文学研究科修了。訳書に、ニコルソン・ベイカー『U& I 』(白水社)。

----------------------------------以下本文-----------------------------------------

校正という、人間の仕事──訳者あとがき


 書籍や雑誌は、著者が原稿を書いたらそのまま印刷されるわけではなく、「校正」や「校閲」というプロセスが待っている。どちらも誤りを正す作業のことだが、校正者の牟田都子(さとこ)さんが書いた「縁の下で」というエッセイを読んで、「校正」とは「本になる前のゲラ(本になったときと同じ体裁で出力される試し刷り。校正刷りとも)を読んで間違い(誤植)を探す仕事」で、「誤字脱字や衍字、ことばの誤用」などを直すことをいうのに対し、「校閲」は「事実関係に誤りがないかどうかをチェックする」ことをいうと知った。おそらく微妙に重なり合うところもあるのだろうけれど、こうして分けるとわかりやすい。

 この区分けにしたがうと、本書の著者のメアリ・ノリスは「校正者」である。1978年にアメリカの老舗雑誌『ニューヨーカー』で働きはじめ、1993年から現在まではゲラを読んで言葉や文法の誤りを指摘したり、誤字脱字を拾ったりしている(間違いを見つけることを校正業界では「拾う」と呼ぶ。これも牟田さんのエッセイで覚えた。反対に、間違いを見落とすことは「落とす」という)。そのかたわら、『ニューヨーカー』誌やウェブサイトに校正の仕事にまつわるエッセイを連載しており、それをまとめて本書Between You & Me: Confessions of a Comma Queen (W. W. Norton, 2015) がうまれた。ベストセラーとなり、2冊目のGreek to Me: Adventures of the Comma Queen (W. W. Norton, 2019)も出版されている。1冊目のa Comma Queenは、2冊目ではthe Comma Queenになった。

 校正は誤字脱字や言葉の間違いをチェックする仕事なので、カンマをいじくりまわしているというイメージから、「カンマ・クイーン」というニックネームがついた。「ドラマ・クイーン」という英語表現が下敷きになっており、これは、「ドラマのヒロインにでもなったかのような気分でささいなことに大騒ぎしてみせるひと」という意味合いで、ふつうひとを小馬鹿にするニュアンスを込めて使われる。だから、「カンマ・クイーン」という名前には、「カンマというささいなものに大騒ぎする困ったひと」という雰囲気がある。

 そんな些事に目くじらを立てる困り者を一躍人気者にしたのはインターネットだった。本書が刊行されたころから、彼女は『ニューヨーカー』のウェブサイトでComma Queen という動画シリーズを始めた。最初は緊張した面持ちで生真面目に机に向かって校正や英文法について話していたのだが、シーズン2にもなると動画にも慣れたのだろう、クイーンの王冠をかぶって校正を披露したり、愛用の赤いウェブスター辞書を手にクリスマスソングの替え歌を歌ったりと、だんだんキャラクターが立ってきた。2016年には、TEDトークに、「ニューヨーカー誌が誇るカンマ・クイーンの重箱の隅をつつく栄光」というタイトルで登場し、老舗雑誌『ニューヨーカー』での校正者の仕事を「メジャーリーグでショートを守るような役割」とユーモラスに紹介している(日本語字幕もついているので、「メアリ・ノリス TED」で検索を)。

『ニューヨーカー』には記事の内容のチェックにかかわる部署は2つある。1つはfact checkers が働くthe fact-checking departmentで、もう1つはcopy editors が働くthe copy department である。両者ともこれまで訳語がなかなか定まらず、前者は「調査部、事実確認部、校閲部」、後者は「校正部、校閲部」などとさまざまに表記されてきた。仕事の内容は、前者は記事の事実関係が正確かどうかを調べること、後者は言葉や文法の誤りを正したり表記を整えたりすることなので、冒頭の区分けでいくと前者が「校閲」、後者が「校正」ということになるだろう。本書ではそれぞれ「事実確認部」「校正部」という訳語を採用した。カンマ・クイーンが働いているのは「校正部」だ。

『ニューヨーカー』の事実確認部はきわめて細かいことで(悪)名高い。ノンフィクション作家のジョン・マクフィーは、日本軍が第二次世界大戦中に「風船爆弾」という発火性物質をつんだ気球を日本から打ち上げ、それが西風に乗ってアメリカ本土のプルトニウム原子炉に命中したという話を聞きつけて記事に書いた。すると確認部員は、風船爆弾が落ちた原子炉の現場主任だった男を探し出し、風船爆弾は原子炉に当たったのではなく、原子炉脇の電線に引っかかって燃えたという事実を確認した。ノンフィクションならまだしも、フィクションでさえ事実確認をするという逸話があって、「例えば、サンフランシスコを舞台にした小説があり、そこにフィル・ドークスという名前の精神病の患者が登場していたとすれば、そんな名前の人間は実在しないことをサンフランシスコの電話帳を開いて確かめておく」、と、事実確認部で実際に働いていたジェイ・マキナニーは小説に書いている。

 しかし、『ニューヨーカー』は事実確認部に負けず劣らず校正部も細かいのだと、本書を読んで思い知った。『ニューヨーカー』には半世紀以上にわたってエレノア・グールドという伝説の校正者がいた。創刊号の全ページに誤りがあるのをチェックして編集部に送りつけ、編集長に請われて入社したという噂のある人物で、「文法学者(グラマリアン)」の異名をとった。彼女がチェックして提案が鉛筆でびっしり書き込まれたゲラは「グールド・ゲラ」と呼ばれて丁重に扱われ、初代編集長ハロルド・ロスも、2代目編集長ウィリアム・ショーンも、彼女には逆らえなかった。『ニューヨーカー』のあまりに細かいカンマはほかの出版社からたびたびからかわれ、誤植を出すと読者から「『ニューヨーカー』の栄光の日々はもう終わったのかい?」と手紙が来た。グールドとともに校正部を率いたのは本書にもたびたび登場するルー・バークで、彼女はグールドとは対照的な校正者だった。グールドはみずからのルールに沿ってカンマを打ったが、バークは作家の声を活かすために打った。著者のメアリ・ノリスはその両方から校正を学んだ。

 本書で著者は、『ニューヨーカー』で実際に行った校正の舞台裏を明かし、さらにメルヴィルやディケンズといった大作家の文章に含まれる「誤り」を校正者の目線で読み解いてみせる。彼女は文法や表記のルールに合わない部分をグールドよろしく摘発していくが、しかし、それだけで終わらないのがカンマ・クイーンの魅力で、書き手たちがなぜそうした「誤り」をしたのか、彼らの「失敗」の原因を追っていく。たとえば、本書の原題にも使われているbetween you and meというフレーズは、「ここだけの話」という意味合いで用いられる慣用表現なのだが、多くのひとがこれをbetween you and I と、文法ルールに合わない形で使う(前置詞の目的語なので目的格のmeが正しい)。その背後にひそむのは、meよりもIのほうがフォーマルな感じがするという、英語話者が漠然と感じる気分なのだとクイーンは言う。だからこのたぐいの「誤り」は、教養を漂わせようとする書き手や、立派な雰囲気を醸し出したい政治家のスピーチによく見られ、場合によっては「誤り」を残したほうが雄弁なことさえあるそうだ。校正は、じつは、ルールと心情のあいだで揺れ動く、とても人間的な作業なのである。

 クイーンは書いている。「自分の仕事で好きなのは、人となりのすべてが求められるところである。文法、句読法、語法、外国語、文学の知識だけでなく、さまざまな経験、たとえば旅行、ガーデニング、船、歌、配管修理、カトリック信仰、中西部、モッツァレラ、電車のゲーム、ニュージャージーが生きてくる。」本書のこの箇所を引用し、建築やデザイン分野の翻訳を手掛ける牧尾晴喜さんが「いろんなクリエイティブな仕事にきっと共通してる」とツイッターに投稿すると、何百人ものひとが賛同して「いいね」ボタンを押した。

 ともすれば、どこかに確固たる英語という「正解」があり、「ネイティブスピーカー」ならその「正解」を持っていると思ってしまいがちな英語学習者には、本書はいい解毒剤になると思う。すくなくともわたしは、ずいぶん毒を抜いてもらった。英語だって人間が使う言語であり、人間の心の動きを表すために文法や単語が存在する。だから、人間の心が揺れるのに合わせて、言葉は揺れる。「盤石な英語」に合わせて人間が考え、話し、書くのではないのだ。そんな当たり前のことを思い出させてくれるものは、じつはあまり多くない。

 最後に、柏書房編集部の編集キングこと竹田純さんにはたいへんお世話になった。「日本語版では章のなかに小見出しをつけましょう」と提案いただき、訳者が本文中より印象的な部分を拾って日本語版で独自に構成した。クイーンはその日本語(!)に目を通し、助詞の使い方について鋭い指摘をくださった。校正がテーマの本を校正してくださったのは大槻宏樹さん、和洋混植の複雑なテクストを美しい本にデザインしてくださったのは髙井愛さんだ。また、訳すにあたって多くの書籍から学んだ。以下に主なものを列挙して感謝申し上げる。

2020年12月 旭川   有好宏文


・・・・・・

常盤新平『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)
ブレンダン・ギル著、常盤新平訳『「ニューヨーカー」物語』(新潮社)
リリアン・ロス著、古屋美登里訳『「ニューヨーカー」とわたし』(新潮社)
ジェイ・マキナニー著、高橋源一郎訳『ブライト・ライツ、ビッグ・シテ
ィ』(新潮社)
ジョン・マクフィー著、栗原泉訳『ノンフィクションの技法』(白水社)
コーリー・スタンパー著、鴻巣友季子/竹内要江/木下眞穂/ラッシャー貴
子/手嶋由美子/井口富美子訳『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐ
る冒険』(左右社)
牟田都子「縁の下で」(『本を贈る』(三輪舎)所収)