エッセイ:白い天井
天井を見つめていた。
本当に何もしたくない状態の究極形態。
ただただ、白い天井を見つめていた。
悩み事があるならまだいい。
映画やドラマの「ぼんやりと見つめるシーン」は何か考え事をしている時の暗示だから。
一方僕は、ただ本当に何も考えず天井を見つめていた。
もしかすると、天井を見つめる行為には現実逃避の側面があるのかもしれない。
中世の貴族やはたまた日本の時代劇など、高い地位の人間がうら若い娘への口説き文句として「なぁに、天井のシミを数えていればよい」みたいなのが常套句となっている。
天井のシミってなんだろう。
ウチにはクモの黒いフンがたまにあるくらいだ。
あれはシミにカウントしてよいのだろうか。
もしくは雨漏りではないだろうか。
地位の高い人間でも"天井のシミ"を常套句とするくらいだ。
当時の建築技術では雨漏りは貧困のメタファーではなく、日常的に遭遇するものだったのかもしれない。
話は変わって「天井のシミが顔に見える」なんてパターンもある。
あれ怖いよね。
昔腹筋してた時に顔に見えて集中できなくなった。
「壁に耳あり、障子に目あり、天井裏にはメリーさん」かもしれない。
僕はホラーが苦手なので早々に筋トレを切り上げた。
さっきまで天井を見上げている時はまるで頭が働かなかったのに、いざキーボードを叩いてみるとくだらない話がスラスラ出てくる。
白い天井は頭が休まるが、白いノートは心が休まるみたいだ。
お次はダークモードで目を休めようか。
おあとがよろしいようで。