こどもの日、食べられなかった柏餅
5月5日、こどもの日。
「仏壇に柏餅あるよ」
そう親から言われて気づいた。
今年のGWはいつまでだとか、病院や美容院の予約をいつにしようだとか、来月の予定だとかを考えていたら五月人形のことすらすっかり忘れていた。
べつにここ何年もやっていないが、忘れていたのと覚えていてやらない選択をしたのとではいくらか意味も違う。
柏餅は好きだ。
つぶあんもこしあんもよもぎも桜餅も。
(桜餅は関係ないのかな)
『こどもの日の内に食べるか』
正月やクリスマスといった行事に意味を求めてしまう。今回も似たようなルールを作った。
5日 23時頃
時計に目をやると23時。
『そろそろこどもの日も終わっちゃうな』と思い出し、柏餅を食べるなら今だろうと気づいた。
しかしなぜかスルー
『べつにこどもの日の内に食べなくてもいいかも』、なんて薄ら過ぎった。
6日 深夜2時頃
日付を跨ぎ6日、軽微な空腹がやってきた。
如何せん昼夜逆転していたためこれは禁忌の夜食には当たらない。
完食にはベストなタイミングだ。
しかし、不思議とあまり気が進まなかった。
『今じゃないかもしれない』
食べたい物がその時々で異なるのは、何もおかしなことじゃない。そのはずなのに残る違和感。
「きっと甘い物、特に和菓子の気分ではないのだ」と思い、夕飯の残りの手羽先を煮たやつを摘んだ。
対極のしょっぱい物を選ぶという杜撰な選択。
早朝、ベッドに寝転んで部屋を見渡す。
小さな気づき。
楽器のメンテしなきゃ
タオル散らかしたままだ
そろそろ布団も洗濯しよう
あ、サプリも買わないと
今、寝転びながら眺めている景色は『実家の子ども部屋』であることが過ぎる。
実家暮らしの身には日常的な風景だ。
GWだからじゃない。
Uターンラッシュなんて無関係の世界。
周りの人間は大人になった。
確かになった。
何かを獲得する代わりに僕にとって大事なモノを捨てた。やめた。
いらないって。飽きたって。
それが寂しくて、せめて僕だけはと真逆の方に進んでいた。
反骨精神なのか逆張りなのか。
昔からマイノリティに目が行く自分は、いつも身を削る選択をしてきた気がする。
それでもやっぱり、後ろ指を指されながら続けるのは全然気楽なもんなんかじゃない。
一種の開き直りに近い。
「おまえらにはわからない崇高な思想」とか大層な言い回しをしたら楽になるか。いやならないな。
きっとどこかで気づいていた。
気づいていたから先延ばしにしていた。
腹を括って柏餅を食べようと思う。
多分ちょっとしょっぱいやつかも。
煙草と珈琲の苦味で覆い尽くしてしまおうかな。
それは大人のやり方かな。
参ったな。