
人は、自分しか見えてない。
人それぞれ、人生がある。
いくら、もどかしくっても、他人が何でも肩代わりするのは意味がない。
その人本人の意思で選びとり、その人本人が人生でやりたいことを自分でやってみるから、人生の意義がある。
何にもやらないで、平和を貪りながら、しなかった後悔を密かにする人生だって、周りに文句たらたらな人生だって、歯痒くても、腹が立っても、本人が選んだ道なら、他人にはどうしようもないんだ。
これがわかっていない、いい年をした大人は案外多い。
わかっている人ならば、する後悔を真っ先に選んでいくだろう。
いや、いくら悩んで迷って苦しくっても、最終的には、他人のいう無難な答えや逃げ道やつぶしがある道なんかじゃなく、自分の気持ちから、不器用でも、やりたいことをやる道を選んでいくだろう。
それは、人生の先輩たちからみたら、もっと上手くやれよって歯痒くなるかもしれない。
時に腹立つかもしれない。
だけど、下手くそでも、伝えたいことを伝え、言いたいことを言い、やりたいことをやってみるしか、この世界での後悔をなくす方法はない。
自分を生きるしか、ない。
自分の気持ちに正直になっていくことで、本当に自分にとって、要らないものが削ぎ落とされていく。
要らないものから、嫌われて避けられていく。
それは、ほんのちょっぴり、自分が傷付いて辛いかもしれない。今まで、大事にしていたものかも、しれない。
だけど、もうそれは今の自分には、要らないもの。
だから、離れていった方がいいもの。
そうやって、自分が世界が人生が、変わっていくのはしょうがない。
ビリビリする心の痛みを感じながら、自分が今言いたいこと、伝えたいもの、やりたいことを自分に日々問い掛けながら、自分の人生を生きるしかない。
そうすることでしか、みんな自分を生きられない。
他人に相談しまくってみたところで、他人目線の参考意見は得られるが、それは自分の人生の答えじゃない。
自分の人生の答えは、自分しか出せない。
誰も、自分を本当にわかりはしないから。
自分自身でさえ、知らない自分がいるというのに、どうして他人が全部わかるというのだろう?
それでも、人は一人では生きられない。
だから、他人に手を伸ばしてみたりする。
自分が、そうしたいって、思ったから、そうする。
求められたから、そうするだけじゃない。
求められたとしても、こたえない自由だってあるのだから。
確かに、相手のことや周りを考えて、無難な道を選べば、みんな幸せかもしれない。自分だって、痛みを感じないかもしれない。
だけど、自分の人生を生きない人は、文句たらたらにしか見えないし、それでいて、自分の気持ちに正直になれば、苦しめるなら離れれば、と言ってみたところで、聞く耳を持たないこともある。
結局、幻が怖いだけなんだ。
他人が本当に思っていることなんて、本来誰にもわからない。また、わからなくていいことだ。
要らないものだから。
必要なのは、自分の中にある、自分の声だけ。
自分の声に従って進むだけなんだ。
時に、迷って悩んだって、それは自分を生きるためには必要な過程だ。
たとえ歯痒く見えたとしても、その人の気持ちをその人自身が知るために必要なことだ。
そうやって、ひとりひとり、自分を精一杯生きるしかなくて、いつの時代だって、楽チンな人生はなくて。
楽チンな人生にしようとしたって、苦労の方から追いかけてくるように出来てる。
だから、馬鹿でもいいじゃないか。
やりたいことをやればいい。
言いたいことを言えばいい。
繋がりたい人と繋がればいい。
伝えたいものを伝えるだけ。
精一杯生きた中で、やっと得られる楽しさ、嬉しさ、よろこび。そんなものが、人生の醍醐味なのだろう。
それは、自分に正直になってみることでしか得られないギフトだ。
たとえ、がんばってみても上手くいかないこともあるし、周りが輝いてみえることもあるし、こいつにだけは負けないと思っていた人にいつの間にか抜かれて、悔しくなったり。
そんな時だってある。
腹立つことや、かなしいこと、涙ながすこと。
それすらも、もう人生の醍醐味なんだ。
それは、確かに自分勝手なのかもしれない。
だけど、自分勝手をあえてする方が、お互いのためになる。
自分が伝えなきゃ、自分の本当の価値観なんか、誰もわかってくれはしない。
だから、それで嫌われてうざがられて離れていく人達は、同じような価値観の人たちで群れて楽しんでいればいい。だって、それが楽しいって思っている人なんだから。
たとえ苦しそうにみえたとしても、同情する必要はない。
本人が本当に自分にあっていない、自分の本心からズレている、自分の気持ちを誤魔化して生きるのは苦しいってなれば、そんなものはいつまでも続けられるわけがない。
自分で終わらせるか、その人の状況が終わらざるを得ないようになってしまうかの違いはあるかもしれないが、自分は、自分の人生を生きるしか出来ないのだ。これは、どんな人だって同じ。
他人のため、は究極的には考えることができない。
もちろん、表明された希望を汲むことや過去の言動から、こうだろうなと類推することは出来るが、それは自分の類推から出ていくことはできない。
あくまでも、人は誰しも自分しか見えず、自分勝手な生き物なのである。
それを無自覚でいるか、自覚できるかの違いがあるだけだ。
ただ、気付く。たったこれだけで、人は自分勝手から一瞬脱出して、他人のために生きられる。
でも、それはあくまでも、一瞬だ。
自分を一生懸命生きている人にだけ、与えられるプレゼントなんだ。
それを渡し合いながら、私たち人間は生きている。
投げ銭ですので、この先はありません。
ここから先は
¥ 400

よかったら、チップ投げてもらえるとうれしいです。