子供を産めばわかるんだろうか?
昔、子供がいなかったころ、回転寿司屋のA店とB店の子供連れの子供の反応があまりに違うことについて素朴な疑問をQ&Aサイトに書いてみたら、思いの外バズってしまったことがある。
そこの回答の中に、あなたも子供を産んでみたらわかります、なんて書いてあったけども。
子持ちになった今でも、彼女たちの置かれている状況は、本当の意味では、わからないまんまである。
だって、私と主人と私の息子の性格と彼女と彼女の旦那様と彼女の子供の性格は別もので、それぞれ資質も違えば、行動も考えていることも違う人間だからね。
~すればわかるなんて言い方じゃあ、いつまで経ってもわかりあえない。
ただ、そういう言い方をしてしまう彼女たちに、余裕がなく、感情をぶつけるところがないのだろう、ということだけは、なんとなくわかったような。それだって、私の憶測の域を出ない。
私だって、人間だから、それも褒められるような人間ではないから、感情の渦に巻き込まれたまま、文章にぶつけてしまうことはある。
私のノートなんか、感情の記録と言っても差し支えない位、様々な見苦しい感情と様々な見苦しい文章、様々な見苦しい作品だらけである。
だから、ヒトのことを言えた義理はないのだが、やっぱりもうちょっとだけ、説明をしてみようよって思う。
わからない、状況が違うヒトにも、わかるように、普遍的な共通してそうな部分をさがして、説明をする。
たぶん、それはコミュニケーションの基本なんだと私は思う。
もしも、子供を産んでみたらわかるって物言いで通してみて、上手くいかないなって、あなたがほとほと疲れてきたなら。
状況が違う人に、自分の置かれた状況の説明をしてみる、そんな余裕を取り戻してみてごらん。
それだけで、敵対していた姑や舅が味方になってくれたり、近所の人が味方になってくれたり、分からず屋だと思っていた人が、ガラリと味方にかわるんだ。
そうしたら、あなたは余裕を取り戻すことが出来て、周りに感情を当たり散らすことも、ぐんと減る。
それは、子供たちにも、きっと伝わる。
あなたが余裕を持つと、子供が優しさを感じて、おとなしくなってくれたりするんだよね、たぶんね。
それでも、どうしても感情をぶつけてしまいたい時は。
感情をぶつけてしまう場所や、人を、厳選してみた方がいいと思う。
これ、たまたま、当時の子供がいない私が相手だったから、当時の相手の感情に引きずられずに、なんでこの人感情的になってるんだろう?まーいいかーってかんじですんだけど、見知らぬ一見の誰かに感情をぶつけてしまうことには、その感情を倍返しされてしまうリスクがある。
いつもやさしくて余裕がある相手にあたる、とは限らないからだ。
余裕がない人同士だと、どうしても感情のぶつけ合いに終始するだけで、何故そうなったのか、わかりあえぬままで、また同じ嫌なことをされることの繰り返しになりかねないのだ。
おそらく、その人の周りには、余裕がある人自体あまり居ないのだろう。
その極みが、誰々死ねだの、消えろだの、昨今問題になっている、安易な悪口表現に行き着くのではないか、と私は考えている。
ちょっとコーヒーブレイクしてみましょう。
あ、コーヒー苦手ですか?
そうですか………。
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