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おわった昨シーズンのような、はじまる新シーズンのような話(前編)

J3好きの皆さまこんばんは。

よしせんさんにnote書きなさい(真顔)と言われ、
重い腰を上げたところ。とは言ってもすでにギラヴァンツ北九州の開幕戦の2/22の手配は済ませたし、7/5の(A)奈良クラブ戦の手配も済ませていたりする。

 最初に投稿したnoteにもある通り奈良クラブは多くの友人のいる私にとって特別なクラブだ。24はサマユニまで購入しているが、サマユニ成績を鑑みるとあまり大きな声で言えないあたりは、、苦笑
 でも残留が出来てこうして今シーズンもよしせんさんをはじめ奈良クラブサポの皆さんとお会い出来るのが嬉しくてシカ🦌たない!笑
またロートフィールドでよろしくお願いします!

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 さて、話をすこし戻す。(少しじゃないかも・・)

 2024年のJ3リーグについて12/7にいろんな感情がごちゃ混ぜになった。前編では第21節7/13以来、久しぶりに行った富山県総合運動公園陸上競技場でのJ3プレーオフ決勝の部分にフォーカスする。
 前半の何を見せられているんだ‥からの後半碓井聖生選手が1点返したところで空気がガラッと変わり、アディショナルタイムでの同点弾。松本山雅は92分まで自分たちに昇格の権利があっただけにこの残酷なまでの明暗、熱気と悲哀の渦を肌で感じて鳥肌が立った。周りのどこの誰かも知らない人々とただただ半泣きでハイタッチをしていた。たまたま席も近かった、年はちょっとだけ離れているが普段から仲の良いKG-kobayashiさんとも写真を撮れてホッとした。

ハーフタイム、メインスタンドコンコースにて

 来た甲斐があった。このゲームの前に私はこのようにXで投稿していた。

https://twitter.com/kashitsuki_man/status/1865018032227258693

 前にも投稿はしたが北九州市に住んで以降、ギラヴァンツ北九州を応援していた。新潟に住んでからも都合が付く時はアウェイへ駆け付けるギラサポである。けれど最近の北九州のJ3とチグハグさがどうしても納得できなかった。J3に対しての思い入れも当時は全くなかった。そんな思いを持ちながらコロナ鍋(あえて)が終息に向かっていった頃にふらっと行ったのが2022年の富山-北九州のゲームだった。

 どっちを応援していたかはお分かりかもしれないがここでは伏せる。でも富山のスタジアムの雰囲気、奥に見える立山の綺麗さには心を打たれた。まだまだこれから盛り上がっていくクラブなんだろうな(ちょっとむかしの新潟市陸上競技場を思い出した)、今は少ないこの人数の中でその成長を見届けられたら楽しいだろうな、新潟からなら隣の県でもあり来れない事もないな、うちの縁で富山を応援するのも良いかもなーそんな事を思ったのが第一印象。後日、当時配信に50人来るか来ないかのかったーさんのチャンネルを見つけ何度か見ていくうちによりクラブに興味を惹かれたというのが入り口だったと思う。
 振り返ってみると私は高校生の頃から北信越リーグ1部を観ていた。松本山雅もYKKAPもその頃から現地で観ていたのだ。今更だけど応援しようかなと、Xを立ち上げひいき目にポストをしたり観戦を重ね仲間が増えていった。皆さまのあたたかさのお陰でいつしかすっかり顔なじみが増え、2023年のオフには富山サポのシーズン打ち上げにも参加させていただいた。

2024最終戦後、富山駅近くのお店にて
悔しいはずなのにやたら楽しかった気がする


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 明けた2024年、新年早々転機が訪れる。能登を震源とする天災。私の住む新潟も石川ほどではないにしろ地域によっては住宅、道路に甚大な被害。職場は石川,富山に応援も出し私も落ち着かない日々を送っていた。この天災を視ているのは北陸地方気象台(本所新潟)、道路の関係なら北陸地方整備局(本所新潟)でもあるので半分北陸地方のような新潟県民としてもこの被害は他人事ではなかった。

 一次的な対応の忙しさも落ち着きつつある3月のホーム開幕戦の奈良クラブ戦に県総へ行けたのだが、カターレ富山が押し出していた復興支援系売り出しは新潟を除く北陸三県のロゴだった。はっきり言う。一方的な被害妄想だと言われても良い。(私が反対の立場だったらなんだコイツ当たり屋か?と軽蔑しよう) が、正直内心はかなしかった。前年の伝説級の天皇杯新潟との隣県ダービの盛り上がりも記憶に新しかったので余計に疎外感がつらかった。また、時を同じくして進行していた秋春制の話も私のポリシーとしてはクラブに対し失望するものだった。(ここではあえてこれ以上は踏み込んでは書かない。)

 そんなことは応援する仲間友人たちとは関係が無いのでもちろんカターレ富山は応援し続けた。途中からはクラブへの応援というより応援している仲間の応援に近かった気もするが・・。

0-2から3-2の(A)AC長野パルセイロ戦
ルヴァンカップは平日ナイターの札幌ドーム
快勝だった(H)FC琉球戦

 夏の補強はイマイチだった。特にJ3が他のクラブがネームバリューのある選手の出入りがあった中で富山は実績の無い、J1で出場機会の無い若手をレンタルで獲得しひとりはすぐに怪我、ひとりはなかなかコンデションも上がらず試合に絡むことが少なかった。今だから言えるが、このあたりでカターレ富山の自動昇格は厳しいのではないかと心配が募った。開幕から同じメンバー、同じフォーメーション、同じ戦術、このあたりでやや対策もされて来ていた。

 それでも2024年のカターレ富山は粘り強かった。
2023年、得失点差に泣いた富山だが得失点差以上に己を恨む要因は同じ相手へのダブルの多さだった。その反省を生かし2024年のカターレ富山は前半戦に負けた相手にことごとく負けなかった。そして忘れてはいけないのが観客動員。終盤戦になるにつれて常に1万人近い観客が集まり、富山県全体に機運が高まったのだと思う。結果シーズン3位、結果論で言えばこれで笑うことになるアドバンテージも獲得しシーズンを終えた。

 普段からXの投稿を見てくださっている人にはおわかりだろうが、シーズン終盤はJ3であろうとギラヴァンツ北九州はギラヴァンツ北九州だな、とカターレ富山と同じくらいか元々の分を含めてそれ以上に肩入れしていた自分も居たのは事実。一部の富山サポからはイヤミも言われたし距離を置く人もいた。当然だと思う。でも、だとしても私はJ3というリーグ、各クラブの特色、他サポさんとの交流を大切にしたかった。だんだんと看板を変える(もとに戻す)か、と決心も着いてきた。

 なにはともあれ、最高の仲間たちと昇格する姿を見れたので万感の思いであることはみんなと同じ。写真撮影やインタビューなど最後までスタジアムに居れば良かったなとちょっと後悔。苦笑

23年(A)八戸戦、コルリの西田さんは会うといつも気さくに話してくれて嬉しかった!最高の仲間たち!
個サポという輪に入らせていただいた大山武蔵選手応援団

 みんな、あらためてありがとう👍️また
 どこかのスタジアムで必ず会いましょう!


 ここまで12/7のJ3プレーオフ決勝が終わった時刻(~16:45)までに焦点を合わせてカターレ富山メインの話しをしていますが、いろんな感情がごちゃ混ぜになったのはまたこの後の話として書こうと思います、

 相変わらず拙い文章で読んでくださる皆さまに申し訳なさもありますが、お付き合いいただけるとうれしいです。では、続きます

今年はあまり使わなくなってしまう(?)上越妙高駅も
お世話になりました。と言いつつ金沢戦で利用するかも

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