おわりのようなはじまりの話(第37節を終えて)
X(旧Twitter)で日々ポストをしている通り、私は明治安田生命J3リーグが大好きだ。
どのくらい好きかと言うと、公私混同と言われるかもしれないが今年勤務先(グループ会社含め◯万人)が見れる会社の日替わりの社員紹介ページの担当が来た時にJ3が好きと書いたし(それを見てメールをいただいた方まで居て嬉しかったです。苦笑)、また時として家族の時間を犠牲にしても遠方まで駆け付ける。当然嫌味も言われるし、ただでさえ少ない賞与は必要経費を差し引いて全て家族に納めるのが等価(なのか)交換条件だ。
そんな推しがあって、家族があって、生計を立てるー有意義な日常を日々送っているだけだが、この『だけ』を強調したい。『だけ』とは限界を意味する言葉である。なぜなら時間は有限であるからだ。私はよく知っているつもりでいる。サッカーにおいても哀しいかな例外無く、大好きなJ3リーグもおわりを迎えようとしているー
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今日リアルタイムで見ていたギラヴァンツ北九州はJ3第37節を(H)AC長野パルセイロと戦い1-1のドローとなった。現地で、DAZNをフルタイムで、あるいはテキスト速報でリアルタイムに追っていた人なら悔しさを通り越して虚しささえ漂っている土曜日の夜だと思うが落ち込んでいる訳にもいかず、書き留めたい想いも有りこうしてnoteに記すことにした。本を読むのも好きではない、学も大したことのない、ましてやサッカーの知識なんて全く無いのだが、そこはどうかあたたかい目で見ていただけるとありがたいと思う次第。
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長い書き出しとなってしまったが、私にはある思いがある。5年前、私は当時30代前半にして広い分類だと脳卒中で倒れた。脳に行き渡る主な4本の血管のうち、いまだに1本は閉塞したまま。発症した時は頭の中で火が燃えたぎるような人生で経験したことのない痛みだったが我慢してしまい、後日言葉が出なくなり発覚、薬を投与されてからは毎日18時間は頭痛と吐気、100歩も歩けば平衡感覚すら失うような激しい動悸に社会生活へ復帰することは無理だと思った時もあった。幸いにして複流血管が急速にカバーした?らしい医学的に見て後遺症無しと診断され今に至る。書き起こしても当時の苦しみと希望の見えなさを思い出すとゾッとする。
この病気は私から無数の希望を奪ったが、代わりに今あるものの大切さと時間の有限さを与えてくれた。腑に落ちない等価(なのか)交換だが、受け取る以外は最悪な事か、シンデいるような生かされ方しか無いので贅沢は言っていられない。限れた時間の中で仕方ないのだ。
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限れた時間の中で、今季どうしても行きたかったゲームがある。ギラヴァンツ北九州のギラフェスが開催された第24節(H)カターレ富山戦。(私は普段から富山サポーターを名乗っているが最近は属性というか便宜上のようなところもあって、仲の良いサポーター仲間には失礼で申し訳ないところもある。)
何を隠そう私は18~21までを北九州市で過ごしたので小倉はホーム。就職し新潟に住んだ後も夏の賞与を軍資金に毎年小倉へ帰っていたし、どんな思い上がりと思われるかもしれないが何なら私が小倉に居ないと夏は来ないとさえ思っていた。それほどに小倉の友人知人に良くしてもらい、小倉という街を愛し愛されたという自負がある。もちろんギラヴァンツ北九州もかつてニューウェーブ北九州の頃から本城陸上競技場へ通い応援していた。
歴代のユニフォームたち
しばらくギラヴァンツ北九州に封をしてしまっていたのは先の通り病気のこともあるが生活環境が変わったこと、かつてJ2プレーオフ出場を許されず、本来ならつま先だけでもJ1に片時突っ込んでいたクラブの現状に満足がいかなかったからだと思う。今ではJ3好きを語っておいて愚かで恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。では封を解いたのは何か。
理由は2つある。1つは今年の第104回天皇杯2回戦のデンカビッグスワンスタジアムで行われたアルビレックス新潟-ギラヴァンツ北九州の一戦。
新潟でギラヴァンツ北九州を見れるのはめったに無く仕事のリュックにユニフォームを詰め込み、意気揚々にスタジアムへ行った。結果や経過についてはここでは省くがJ1の1.5軍のメンバー相手に素晴らしいゲームだった。
悔しくて悔しくて仕方ないけどやりきった笑顔が良い
ああ、あの時の北九州はチャント等が変わったけれど今もあって、あの日見ていたギラヴァンツ北九州ってこんな感じだったなー(木村裕志選手や端戸仁選手、小手川宏基選手が躍動していたあの時)と思った。
もう1つは普段から仲良くしていただいている、先に言ってしまうと同じ釜の飯ならぬ同じ釜のスーパー銭湯にも入ったよしせんさんと、奈良で合流してくれた大学時代本城陸上競技場に一緒に観に行っていた友人山ちゃんの存在だろう。ギラフェスに行く都合が立たず落ち込んでいたところ、「パンが無いならケーキを食べればいいじゃない/ギラフェス行けないなら奈良でギラヴァンツ見ればいいじゃない」というテンションで奈良へ誘ってくれた。JR奈良駅で合流し、焼肉はじめさんに,喫茶バルドーさんなどの名物を周り、試合を観て、共に帰り、スーパー銭湯の更衣室でロートフィールド帰りの人々に囲まれながら黄色のユニフォームを足早にしまったのが今でも思い出す。とにかく、何から何まで楽しくて面白くて仕方なかった。むかしからの仲である山ちゃんが駆け付けてくれた事も、等身大の自分がリラックスして過ごせた要因だったとも思う。親友ふたり、親友の知人と過ごす最高の一日だった。
奈良最高!笑
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今あるものを大切にしようという思い、時間の有限さを感じて、人とのかかわり合いに何か別の心掛けやルールを設けた訳では無いが、私は家族周りも含めなんて人に恵まれた幸運を持っているのだろうと、1本血管が機能していない脳で、嬉しくて涙が出そうになる。そして病気より以前に人間としての生き方を学んだのが北九州市(小倉)だ。血は水よりも濃いと言うが、それは嘘かもしれないし本当かもしれない。小倉では「俺のことを小倉の親父と呼べ!」と言ってくれ食事などにも連れ出してくれた恩人も居る。2年すこし?当時の社会人の彼女も寛大に付き合ってくれた。少なくとも私にとって小倉という街は親のような、家族のような、親友のような、恋人のような感覚さえ覚える。
ただし、大事なことは小倉も小倉に住む人もそんな感覚を持たれている等とはつゆにも知らず、私が居ようが居まいがこの街もこのクラブも進んで(或いはその逆も然り)いくのだ。
だからこそ、今大切にしているものは大事にしたい。
奈良遠征のほかにも今年はJ3のクラブを観に札幌,盛岡,福島,会津若松,新潟,大宮,横浜,松本,長野,富山,そして奈良と家族の協力の下多くの街へ行き、たくさんの友人と出会えた。そのどれもがかけがえもない大切な思い出である。その思いがあるからこそおわりを迎えようとしているJ3リーグに対しとても言葉で言い表せない感情で溢れてしまう自分がいる。叶うことならまた同じクラブでまた同じJ3を戦いたいが、そんな願いが叶うことは無い。
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自己紹介にある自称というか属性というか富山サポーターとして、富山はPOが確定した。最終順位はあと2試合の結果次第だが、11/17の試合結果によっては最終節NACK5スタジアムでの大宮戦が消化試合となる可能性もある。
ならば私が行くべきはひとつだろう。明治安田生命J3リーグ第38節、Y.S.C.C.-ギラヴァンツ北九州。
Y.S.C.Cサポーターのみなさまにも普段から溶け込ませてもらっており、実際(H)松本山雅戦は現地でY.S.C.C.へ肩入れして応援していた。Y.S.C.C.の今の置かれている状況を考えると胸を締めつけられる思いもあるが、もしも入れ替え戦へ回る事があれば全身全霊でY.S.C.C.応援することを約束する。おわってしまうリーグ戦をこの目で観て、悔いなく声も涙も枯らす。ひょっとしたら枯れそうになった涙が嬉し涙に変わる期待を0.1%くらい持って三ツ沢へ行こうと思う。
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最後になりますが、あらためて今シーズンXをはじめ、現地でも関わってくれた全ての方へ感謝の気持ちを伝えたく、同時に大切にしているものとは何かを伝えたくnoteを記した次第です。身勝手は承知の上でこれからも見かけた時は現地で、あるいはXで仲良くしてくださると嬉しい限りです。
ギラヴァンツ北九州は今日のドローで状況は厳しくなった。けれど終わってもいない。なら出来ることはしよう。0.1%の望みに行動する事が出来なくなるのは明日かもしれないし、ずっと先かもしれないし、あるいはそんなことは無く過ごせる人もいるだろう。
私は自分の時間の限りを感じながら、これからも大好きなJ3をできるだけ等身大で伝えていきたい。
さぁ、2024年(だけ)のJ3リーグは最終節へー