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私のスーパーヒーローたち

 エッセイ連載の第17回目です。
(連載は「何を見ても何かを思い出す」というマガジンにまとめてあります)

 今回は、「この人すごいなあ!」と、ついキラキラ目で見てしまう人たちについて。

「おおーっ」と称賛の目で見てしまう

 前回、自分の潔癖症のことを書いたが、じゃあ、無神経で不潔な人がきらいかというと、そうではない。

 接客されるときには、もちろんイヤだ。そういう人は極力さけるし、避けられなかったときには心の中で泣いている。

 でも、そうでなければ、むしろあこがれの目で見ている。
 自分にできないことを簡単にやってのける人たちだからだ。
 自分には持ち上げられないバーベルを、目の前でひょいと持ち上げられたら、「おおーっ」と称賛の目で見てしまうだろうが、それと同じだ。

電車の中での勇気あるおじさんの行為

 たとえば、電車でよく見かけるのが、鼻くそをほじるおじさんだ。
 これはいつも、すごい人だなあと、目が離せなくなってしまう。
 手指を消毒してからやっているわけではない。
 いろんなところをさわった手で、そのままやっているのだ。
 それこそ、電車のシートとかつり革とか、そういうところをさわっていた手を、そのまま何の躊躇もなく鼻に持っていく。

 その指には当然、さまざまなウイルスや細菌がついているだろう。
 無害なものも多いだろうが、感染症になるものが含まれている可能性もかなりある。
 その指で、かかとをこするくらいならわかるが、鼻の穴の中である。粘膜である。
 汚染された指を、粘膜にこすりつけるのだ。それも自ら。
 拷問的なことを、自分自身で、しかも何気なくやるのだ。

 じつにカッコいい!
 私にしてみたら、流れ弾が飛び交う中を平気で歩く人のようだ。ヒーローと呼ばざるをえないだろう。
 もちろん、自分だけは弾に当たらないと思い込んでいるのは、とんでもない認知の歪みでもある。
 でもこっちも、すべての弾は自分に向かって飛んできかねないという認知の歪みがあるので、同じ歪んでいるのなら、むこうがほうがずっと素敵だ。

食べる姿が美しい

 不潔なものを、食べるとなると、さらに尊敬してしまう。
 腐りかけたものとか、洗ってないものとか、まだ生の肉とか。
 カビの生えたパンとかを、「これくらい平気」と食べる人の、まぶしいこと。

 添加物だらけの食べ物を平気で食べる人もカッコいい。
 何か起きるかもとびくびくしていない。

 普通の食べ物でも、がつがつ食べる人には、尊敬の念を抱いてしまう。
 あるとき、羽田から那覇に向かう飛行機に乗ったとき、隣りの席のおじさんが、「牛焼肉弁当」を広げて食べ出した。
 飛行機が滑走路にむかってゆっくり進んでいるときだ。
 離陸となれば、弁当を食べてはいられないはずで、いま食べ出してどうするの? と驚いた。
 しかし、おじさんは、御飯とその上にのった牛肉を箸で大きくつかむと、ぎゅと口に押し込み、むしゃむしゃむしゃくらいで、もう次のかたまりを口に押し込む。
 かなりボリュームのありそうだった「牛焼肉弁当」を、そうやってたちまちたいらげ、飛行機が離陸するときには、もう食べ終わっていた。

 生命力を感じた。
 このおじさんは生きている。
 食べ物が体内で燃えている。

 もし私が同じ弁当を食べたとしたら、すごく時間がかかるだろう。
 よく噛むし、肉だけ食べてみたり、御飯だけ食べてみたり、両方を食べるときも配分を変えてみたりして、そんなことで味を楽しんでいるつもりになるだろう。
 なんて、せせこましい!
 おじさんはシンプルだ。肉と御飯の配分なんて気にしない。箸がつかめるだけつかみ、口に入れられるだけ入れる。
 牛肉と御飯しか入っていない弁当を選ぶ時点で、もうシンプルだ。
 食べるものや食べ方がシンプルということは、生き方もシンプルということだ。生きるために食べ、食べた分だけ生きる。おじさんは、動物だ。生き物だ。もちろん、これはほめている。
 私はこうした自然な野生を失ってしまった。ぎこちなく、考え考え食べる。ちゃんと味わえていないのは、私のほうだ。

咬まれたマムシで足をしばるおじさん

 尊敬するおじさんで思い出したが、最も尊敬するおじさんは、私がまだ子どもの頃、マムシを足に巻いて山から下りてきたおじさんだ。

 その頃は私もまだ野生児だった。山を駈け回り、草の坂をすべり、木に登り、泥で団子を作って焼いて食べたりしていた。
 山にはクマンバチやイノシシやマムシやヤマカガシがいるから気をつけろと言われていたが、クマンバチ以外はまだ出くわしたことがなかった。

 そのおじさんは、山の中でマムシに咬まれたのだ。
 当時は、咬まれたら、全身に毒が回らないようにしばったほうがいいと言われていた。
 ところが、足をしばるものを何も持っていない。そこで、自分を咬んだマムシで足をしばって、山を下りてきたのだ。

 これには驚いた。マムシで足をしばるという発想もすごいし、それを実行する大胆さもすごい。
 将来、こんなおじさんになりたいと思った。今は無理だけど、大人になるにつれて、少しは近づけるだろうと思っていた。

 ところが、現実には、むしろどんどん遠ざかってしまった。
 マムシの出そうなところには決して行かないし、もしマムシに咬まれたら、そのショックだけで死にかねない。マムシを足に巻くどころか、気持ちが悪くてさわることもできないだろう。

 子どもから大人になることは、よりたくましくなることだと思っていた。
 潔癖症になるという別コースもあるとは、幼い私には知るよしもなかった。
 そのときの私は、ただただ尊敬に目を輝かせて、おじさんを見つめていた。



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頭木弘樹
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