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亀の歩み稽古日記 「座学」~空間に思いを寄せて~
前回の稽古日記を読んだ師は、
「マクロ (大きな) なことばかりじゃなくて、ミクロなところを深めていけるといいね。実際に踊ってる感覚とか、抜けた時どういう感じなのか、もっともっと実感をもって。」と云った。
……宇宙とか次元とか、言い過ぎたかな。「ミクロ」こらからの抱負にします!
◆ 「見ること見られること」
“見る空間” と “見られる空間”
ふたつの空間、ふたつでひとつ。
思うに、踊れない時というのは、“見られる空間” しか感じていないのでは、、。他者の世界、他者の圧力。広い空間の中にポツンと置かれた私。人目が気になり、人の評価を軸に置く。そして自分で自分を物質化する思考。「私は、こんなカラダでこんな顔ででこんな性別でこんな性格で何歳で…」とか。
踊り始めた頃は、そのような意識ばかりだった。人前に立った時の圧、見られて縮み上がるカラダ。目には見えない壁を全身で感じていた。( まわりの空間が全然見えていない、自分が何処で何をやっているかもわからず踊っている、とよく言われていた )
そんな “見られる” 空間世界というのは、今までの人生で存分に鍛えられている。鍛えられすぎて、もはや “モンスター化” しているくらいだ。
鍛えられていないのは、“見る” ほうの世界。
“見ること” これを稽古で取り組んできてるんだな、と改めて思った。少しずつだが、空間と私との関わり方が変わってきている。見ることを鍛えて、ふたつに分断された世界を繋げたい。そんな豊かな空間を共有できたら…。
﴾ 由良部さんはこのことを、舞台空間で説明するのが、とても分かりやすいんじゃないかと言う。また詳しく聞いて書いてみたい ﴿
“見る空間” と “見られる空間”、“精神” と “物質” とも言ったかな。ふたつをどうやって繋げるか。それがこのテーマの本題。質問された私 は、 「・・・」。わからなかった。
赤ちゃんの頃は、いわゆる “見られる世界” はまだなくて “見る世界” にまどろんでいる感じ。由良部さん曰く、ニルヴァーナの状態で生まれてきて、だんだんと見られる世界が形成されていく、、。ふたつの世界はどのように結ばれるのか。
師は云う。
「イマジネーションが働くということなんじゃないかな」
イマジネーションによって物質との関係性は変容する。確かに、気分によって、景色が色褪せてみえたり、キラキラして見えたりする。イマジネーションによって、物質界は変わり、繋がり、結ばれる。
踊れる時は、イマジネーションがイキイキとして、動きと溶け合ってる感じがする。カラダが柔らかくて軽い。考えなくても、自然と溢れてくるエナジーで踊ることが出来る。空間ごとエナジーに満ち溢れたかのよう。
見ることが動きだして、きっと空間が息を吹き返したのだ。
もっともっと “ 見ることが踊る ” を深めていきたい。まだ何となく、ボンヤリしている。。
とてもとても大事なこと。