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亀の歩み稽古日記~踊りと日常~
・「情動」「眼差し」
私達を取り巻く様々な問題たち。
稽古で取り組んでいる事と、それらは無縁ではないはず。踊りで探求している核心へと繋がっていく。実際どのように繋げて日々生きていくのか。それは大きな課題でもある。
日々の尽きない悩み、葛藤…。相変わらず困っている自分。
どこから手をつけよう。
まず、踊っている時はどういう状態になっているか?という問いかけから。
恐れながら、ワタシ的には… 。ひとつには、「情動に深く入る」という感覚がある。内側に情動を深く感じながら、外側へ目を向ける。そうすると、景色が違っていることに気づく。内側と外側という感覚が薄れ、ひとつになっている感じ。圧倒的な豊潤さ。内側と外側が呼吸し、循環をはじめ、在るべき姿がそこにある。
それは内と外の境界線が無くなるという感じではなく、まるで境界線が境界線としての魅力に溢れだす、とでもいおうか。境界線と名付けたものが、軽やかに踊りだすのだ。
「眼差しということになってくるね」
そこには眼差しが、偏在する眼差しが現れているということか。
偏在する眼差しへの実感。これも少しずつ、果てしなく深まっていく。微細で濃厚、かつ透明度が高く、目が眩むほどの愛に満ちている。そう感じる。美しい。気高く柔らかく艶かしい。覚めて酔いしれる心地よさ。
こんな世界を知らなかった。いや、知っていたのかもしれない。知らないながらも、知らず知らず、無意識に求めていたのとも言える。知っているけど知らない、大切な大切な事。この漠然とした、大切なものへの切実なる思いに突き動かされて、踊っているのだと思う。
知りたい、感じたい、踊りたい。
愛の満ち溢れたところ。
いつでもそういう状態なら良いのになぁ。
でもでも、有るとわかっただけでもめっけもんだ。生きてて良かった。
……大きな課題にはなかなか到達しない。でも踊りを始めて私自身、とても変わった。だいぶん開いた。プチプチと細胞が小さな音をたてて…。
理解したいことが山ほどある。