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亀の歩み稽古日記~ 植物の踊り~
「植物」の踊りのことを、書くのは難題。踊るのはもっと難題……。
そこには私達の存在そのものへの大きな問い、テーマが込められている。未知のベールに包まれ妖しく謎めきながらも … 直感に貫かれたカラダで、ひたむきな探求は今も続けられている。そうなのよね…。
… 例えば植物の動きは、水や空気の動きと全然違う。植物の動きは、水や空気のように “私” が透明になっていく感じではない。
むしろその逆というのか、、この、誰とも交換できない、唯一無二の “私” というカラダに、その個別のエネルギーが充満する。個別のカラダの 「声にならない声」が放たれる、開花。そして崩壊という死。生と死。精と死、性と死、、
具体的な踊りの話は次回にして……。
ーーー 以下、写真集 「KYOTO BUTOH-KAN」から、ファビオ・マッシモ氏による由良部さんへのインタビュー文の引用。
ー 私達の身体は花 (隠喩的に) でしょうか?
「 私達は、今現在のこのカラダを花という事はできません。私達のカラダは、他のカラダとは交換できない個別、個別の未完の深い願い事、声にならない声のようなものがあります。その声にならない声のようなものが空間に放たれた時、花になります 」
ーーー 続いて、ごく最近投稿された文章より。
「 “ 黄泉の花 ” のテーマを一言で言うとするなら…
私達のカラダというヒトガタが、死という開花を通して、更に大きな命への受粉体となるのではないか、という予感に尽きます」
あなたは、どう感じたのだろう?
わたしは、どう感じている?
… 深く見つめて。踊って。