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亀の歩み稽古日記 「無意識の意識化?」
師 : 「当たり前のことを伝えるのって難しいな…」
無意識って、日常的にけっこう多いと思う。無意識の動作、言葉、振る舞い、、癖のようなこと。踊りでは、無意識に勝手に動くのではなく、意識を通していく。上手く言えないけど、勝手に動く動きは何ひとつないような。しかも目的などはない。目的がない場で、いかに必然性を見つめていくか…。或いは目的から解放されたカラダを、いかに豊かに味わうか。。
他者とのデュエット。関わり方。
ずぅっと溶けるようにお互い関わってばかりでも、ずうっと距離を保ったままでも、面白くない。
関わり合う、離れる、両方あることによって、関係性はより豊かになる。その境界、変わり目の必然性も面白い。これは普段の人間関係でも言えることだ。当たり前でもあるし、わりとみんな自然にこなしているのでは?
「ひとりで踊る時とふたりで踊る時の感じを、ひとりでやってみて」これを理解するのに一苦労だった。。今まで無意識でやっていて、まぐれで出来る時もあったかもしれない。でもひとりで行う場合、これは無意識では出来ない。それがどういう事なのか理解しないと出来ない。私はデュエットの関係性を意識していなかったし、どうして良いかわかってもいなかった。なんとなくやっていた。だから上手くいく時もあればいかない時もあった。
そうだ。上手くいく時いかない時、踊れる時踊れない時、これを嫌というほど繰り返している。それも極端に…ほとほと困っている。だから今、大事なことをしっかり意識して理解したいという思いからの、稽古日記でもあった。
言葉にぶつかり、思い込みにはまり、妄想に足をとられる。もう分断されバラバラだ、、そしてそれはすべて自分というフィルターによるもの。
あぁ手強いよ…じぶん、、、