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亀の歩み稽古日記~感情と闇~
情動は…流れ、感情は…居つく。
稽古ではずっと、“情動” を大事にして取り組んできている。水のカラダは情動と共にある。情動は常に滞りなく、どこにでも流れていく。例えそれがどんなに小さな動きであっても逃さずに、、情動と共にあるように、稽古してきている。
いっぽう “感情” のほうは、溶かして溶かして流してきた。感情が溶けると、情動の流れを感じることができるから。煌めく情動の流れを。
それがこの間から、“感情” にも取り組み始めている。問題意識として、ずっとあったらしい。
感情を踊るってどんなんなんやろ、、とやっているうちに、“探る” ということが浮かび上がってきた。
まるで触手がのびるように、感情を探っている感覚があった。いつもの感覚と逆方向に動いているものがいる。お前は何だ、、何者だ。
Yurabeさんの闇への考察。
「 闇があるから、探るのではない。
探るから、闇が生まれるのだ。探るという行為そのものが、闇を生み出している」
「記憶が記憶を探っている。それは迷宮に入りこんでいるようなものだよね。またその迷宮の深さが闇の艶にもなる 」
…記憶が記憶を探っている。。感情は記憶、イメージと深く結びついている…言葉とも。情動は声と結びついている…。
不思議なもので、感情を踊ってみると、いつも稽古でやっている、感情を溶かして流すことに、より必然性を感じた。だって居ついたものを流したくなるんだ、、流す快感。
でも感情の闇を探るのも、妙に心地が好い。秘密の小部屋を覗き入る。その時見ているのは記憶だ。記憶の暴走。迷宮へ向かう。
これは日常で起こっている事だけど、踊りで敢えてするのはひと味違う。味わい深い。何かが起こって感情的になるのではなく、探ることから始まるからかな。
… 感情から闇への考察。稽古でやってきている踊りを、よりクリアにした出来事、となりつつある。