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085「努力は必ず報われる」と言い切るには、この世は運に影響されすぎている。

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力とは呼べない」

野球界の伝説、王貞治が残したこの言葉は、今でも議論を巻き起こす。
成功者の論理だと切り捨てることもできる。一般的に成功者が弱者の論理を否定しがちなのは、世に知れたところである。

一方、「はたして自分は、本当に努力したのか?」と自問し直せる名言だとの意見もあれば、他方では「成功につながらない努力は努力ではない」という意味合いもある。

王貞治はそんな高い矜持があったからこそ、実績を上げ、歴史に名を残したのかもしれないとも思う。


ただ、僕はこの言葉に首を縦には振れない。
「努力は必ず報われる」と言い切るには、世の中は運に影響されすぎている。高校最後の大会、大学受験、就職活動……。家庭や職場の環境によって人生が変わってしまう経験は、僕自身、身の回りでもあった。

報われない努力はいくつも見てきた。
世の中では「どうして…?」ということが平然と起こっているし、「なんでこいつが?」という人間が、思わぬ成功を手にしていたりする。

世の中はあまりに運に左右されすぎる。
それに、いくらいい時代になったとはいっても、差別や理不尽、不義理が消えてなくなることはないだろう。


ただ僕は、努力の意味がないとは一切思わない。
たとえ結果が同じだったとしても、場当たり的に臨むのと、じっくり準備をしてからチャレンジするのとでは、明らかな違いがひとつだけある。

それは、失敗への受け止め方。
事前に情報を集め、自分を磨き、不確定要素をつぶしておく。そうすれば、少なくとも会いに来てくれた運を仕留める可能性を上げられる。

人事を尽くして天命を待つ――運をつかむ、とはそういうことだろう。


賭けに出なければならない。
大人の僕たちには、そういう場面がいずれ訪れる。

自分ではどうしようもないほどの複雑で大きな力。
できれば、天の気まぐれに、身を委ねたくはない。

でもそんな時、僕は自分に問いかけたい。
僕は今、単に賭けているのか、賭けに「出ている」のか。

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