ちがう見方。おなじ景色。
「自分を責めてしまった」
そんなことは一定数の人は経験したことがあると思います。
わたしもその1人、常習犯です。笑
だけど、一つ捉え方を変えてみると、気持ちも落ち着くし、安心して、光が見えました。
それは、よく言われる、「べき思考」ではなくて「してもよい」そういう許容に変換していくことでした。
でも、今までは、これからやろうとすることに当てはめてだけで、考えていて、なかなか納得できないところがありました。
「やりたいならやる。やらなきゃって思うならやめる。」
確かにこれも、大事。
でも、今のわたしに一番大切なのは、過去の私を許容することだとこの間気づきました。
そこで、してしまったことに対して変換を始めてみたんです。
「自分を責めてしまった」場合。
わたしはいつも、責めてはダメだ、責めるなんてわたしには要らないんだ、またやってた、やめなきゃやめなきゃ…
ずっとこの思考でした。
そりゃ苦しいですわ。そりゃ責めループの始まりの例題ですわ。
それを、
責めてしまった。でも、責める必要ってなくない?私は悪いことをしたわけでも、喧嘩をしたわけでもないし、そもそも責められる存在ではないし。わたしはただ「そうした」だけであって、責められるようなことはしていない。責める必要ないじゃん…
こういう考えに至ったわけです。不意に。
たくさんたくさん勉強しても、長く長く話を聞いても、ここに自分で気づくまでには、たくさん時間がかかりました。
自分を育て直すって、大変だな…。
でも、できてることに嬉しく思う方が大きかった…!
よく頑張ってるなぁと、私が少し誇らしくなりました。
それと、もう一つ上の二つの思考でいいところを見つけました。
それは、後に引かないってこと。
前者のままでいると、次また似たような時になったときに、「あぁ、また責めてしまった、ダメだなぁ、もう責めちゃダメだよ…」と、ループが激しくなるように感じました。
でも、後者の思考を選ぶことができれば、その時その時で解決していける感覚があったんです。
続けていこう、共に!
明日もいい一日☺︎