華神占命の創始者であるサンサール春水のヒストリー
まず、はじめに
華神占命がなぜ運勢を知り、運を活かす占術なのかを説明します。そのためには、華神占命の創始者であるサンサール春水のヒストリーからひも解いていきましょう。
家庭環境に恵まれなかった幼少期
私(サンサール春水)は小さい頃、家庭環境に恵まれず、5歳のときに両親が離婚したのでした。ある日突然母親がいなくなり、子供の私に誰も理由を話してくれなかったことでなおさら大きなショックとなりました。
そのせいか、小学校の記憶は低学年まではほとんど思い出せません。人が怖くて少し自閉症気味だったのです。
通信簿には、「勉強する気がなく、注意して廊下に立たせたらいつまでも立っていてやる気がない」と書かれ、反応がなくて扱いづらい子供だったようです。7歳上の姉が家事をし、私も手伝いながら育ちました。自主性がなかったのは父親が怖かったから。
「とにかく家を出たい」と思っていました。
高校を卒業後
OLとして働いた後、家を出ました。ホステス、OLなどを経て、生命保険の外交職員も経験しました。
そのときに結婚もしましたが、年下で社会経験も自分より少ないこともあり、家計をはじめとして何かと頼られることが多く、負担になっていました。その上、借金、浮気と重ねられ、見切りをつけて離婚しました。
家庭に入れば「家を守る主婦として生きたい」という願望があり、男性には過度の期待を持っていたのかもしれません。他にも何回かチャンスはありましたが、どういうわけかいつも自分が中心になることが多かったのです。(この原因は後ほど知ることになります)
そんなときに、ある出会いがありました。保険の営業も行き詰まり、最愛の彼にも振られ、借金まで背負っていたとき、藁をもすがる思いでデパートに出店していた「占い師」に見てもらったのです。
そのときに、「あなたは占いを勉強しなさい」と強く勧められ、バイトをしながら占いの勉強を始めたのでした。
その後、占い師のアドバイスで吉方位に選ばれたのが「ネパール」だったのです。私は、迷わずネパールに行きました。
ネパールでは、最初は右も左もわからない状態だったのですが、慣れるにつれて、ガイドブックを作ったり雑貨の個人輸入をしたりしながら暮らしました。
ネパールで暮らすある朝のこと。
目覚めたとたんに、「華神」のイメージが一瞬にして頭の中を駆け巡りました。
まるで壮大なスケールの映画を見ているかのように、雷神が、火の神が、次から次へと現れて活躍していくのです。最初はとても不思議な気持ちでした。
どんどん湧いて出てくるイメージに興奮し、「これはまだ夢の中にいるのかもしれない、ならばさめて忘れてしまう前に記録しておかなければ」と思い、取るものも取らず、まさに飲まず食わず寝ずに夢中になって守護華神のストーリーを書きとめたのです。
それらはどれも、とても美しい情景ばかりでした。私は文字通り夢うつつの中で「これを形に表せたらどんなに素敵だろうなぁ・・・」と思いました。
それからしばらく経ったある日、はっきりと「神の予兆」といえる現象があらわれたのです。
激しい夕立のあと、空が夕日で、まるで一面絵の具をこぼしたような赤に染まった日没前のある瞬間、ブッダ(お釈迦様)の骨が収められているスワヤンブナートというストゥーパ(仏塔)の上空から、ブッダとともに「不動明王」が東の方角へ連れ立って飛んでいくのが見えたのです。その頃の私には、その意味はわからなかったのですが、少なくともブッダと不動明王がこの地球上の異常事態を嘆き悲しみ、さらなる救いのために飛び立ったように思えました。
そして程なくして、恐ろしい事件が起きました。当時2001年6月、ネパールにおいて史上最悪の王族皆殺しというクーデターに見舞われたのです。その犯人は実の王子で本人もその場で自害という、ショッキングなもの。
戒厳令が何日も続き、銃声とどろく不穏な空気の中、体調まで崩し、ひとまず日本に引き揚げることになりました。
このような、華神との出会い、神々からのメッセージ、そのタイミングでこのようなアクシデント、そして日本へ帰国という一連の流れ・・・。
ただ漠然と、「先の見えない不安に満ちた時代の中にあって、必要となる何かを託されたのではないだろうか?」と感じました。
人々の悩み、不安を解き、実生活にも生かせて、役立てるもの。そのヒントとなるのが、「守護華神の物語」ではないだろうか?
それをみんなに活用してもらうには、占いという方法がいいのではないかしら?そう思いを巡らせた私は、それまで運命学を勉強していたこともあり、守護華神をひとつの占術とすることに決めたのです。
そうして構築する中で、私自身の魂と華神の役割を知り、今までの人生がうまくいっていなかった意味がよくわかりました。私が望んでいる幸せの形は、専業主婦で旦那様を陰で支えながら良き妻良き母になること。
そのためには男性は責任感があって頼りがいのある人でないといけないと思い込んでいたのです。(あなたにもそのような経験はないでしょうか?)でも、そう願うのは願望をつかさどる「魂の欲」になるので、それを貫こうとしたために多くのつまづきがあったのです。私を守ってくれる守護華神は「天空」です。
おとなしく責任を逃れた位置で満足するわけにはいかなかったのです。
今、私には、人生で最愛の人の子供を縁あって授かることができ、その子の全責任を負いながら2人で幸せに暮らしています。
都内の2間のアパートで赤ん坊を育てながら、同時に華神占命の構築に明け暮れました。物語をまとめ、カードを作りました。
子供が小学校に上がるタイミングで宮古島に呼ばれ、今までよりも広く快適な住まいで暮らせるようになりました。
宮古島には華神物語の原風景がありました。
カードの場面を感じさせるような、リアル華神の世界があったのです。ここで直に華神と会えた気がします。
そして、華神占命が完成しました。
私は毎日幸せを感じながら暮らしています。
本当はこれで十分に満足なのですが、それで甘んじてしまえばまた運勢力が落ちて、同じ失敗を繰り返すことも知っています。
だからこそ、
「自分だけでなく、もっとたくさんの人にも伝えていかなくてはいけない。」「何度も繰り返される悩みの中にとどまっていてほしくない。」「悩みを飛び越えて元気に成長を果たしてほしい。」・・・と思うようになったのです。
一人でも多くの人に進化する喜びを味わってもらいたい。そして私もさらに成長していきたい。そうすることで私自身の喜びも大きくなっていく。
それがとっても嬉しいことであり、「私の使命」でもあります。そのためにも、「華神占命」を伝えていきたいと思ったのです。
これが「華神占命」ができあがるまでの流れです。
ちょっとした“きっかけ”からネパールに行くようになり、
そこで、「華神占命」を構築するための材料が揃っていったのです。
一時的な方法では本当の悩みの解決策にはなりません。スピリチュアリストには、それぞれ得意分野があり、それぞれの特性を生かしています。ただし、得意分野があるということは、“抜け”があるということでもあります。大きなメリットがあれば、大きなデメリットも生じてしまうのです。
得意分野というのは「わかりやすいもの」なので、流行のようにすぐに飛びついてしまうのですが、それではいつまで経っても、運勢を活かすことができません。
偏りの生じた占いばかりに頼ってしまうと、その考え方に翻弄されてしまう可能性がありお金もたくさんかかってしまいます。翻弄されないためにも、部分最適ではなく、「全体最適」の方法を考える必要があるのです。
運は空気のように流れています。
誰にでも同じように流れています。しかし、それを活かしきれるどうかは、その人次第になるのです。
もし、何度も同じような悩みを抱えているとしたら、それは「あなたの予定」を知らないからなのです。
何事にも予定があります。朝が来ると目が覚めるという予定、太陽が沈むと夜になるという予定。あなた自身の予定から、星自体の予定まで時が流れているがゆえに、さまざまな予定が存在しています。注意しておきたいのは、予定は「宿命」ではないということです。
宿命とは「その行動まで変えられないもの」になりますが、予定はその行動まで変えられないものではなく、あくまでも予定として存在しているだけです。
その運勢の予定を知った上で、「実行」と「反省」を行っていくのです。
予定・実行・反省のサイクル(ヨジハンの法則)を繰り返していくことであなたの根本波動が高まり、人生が自然と充実し、願望も面白いほど実現する奇跡のサイクルに活きることになるのです。
詳しくは、こちら!http://mutosplan.com/lp/