岩山の町。フランスロワール地方周遊の旅。
みなさん、こんにちは。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
今回は以前MIXIの日記で書いたものを紹介したいと思います。
長文になりますが、フランス旅行に行ったつもりで、お読み頂けたら嬉しいです。
中学三年の美術の授業中、題材選びのために、大きなフルカラーの写真集をパラパラとめくっていた時のことだった。
あるページの写真に、目がクギ付けになった。
島なのか、山なのか、城壁のような壁にグルリと囲まれた町が、頂点に向かって円錐形に形成されている。
下から階段が、右に左に、ジグザグに刻まれて、山の頂点には、教会の鐘や、天に真っ直ぐに伸びた屋根があった。
城でもないのに、教会を守るために、壁で囲まれている違和感はあったが、町が下から上に、美しく三角形に構成されていることに魅かれ、月面のクレーターの中に、岩山の町を沈めるようにして、スケッチを始めた。
どこの国の何なのか?
明確に知ることになったのは、ずっと後になってのことだった。
大学時代、社会学を専攻し、17世紀のパリの市民生活についての講義を履修した時、下水道が整備される前で、人々が汚物を建物の外に捨てるので、
不衛生から、コレラやペストが流行した話を聴いて、ショックを受けた。
パリと言えば、芸術の都、凱旋門に、シャンゼリゼ通りに、エッフェル塔に、オペラ座に、ルーブル美術館にと、街並みや、ファッションや、料理でも、洗練され華やかで、美的センスが高い街のイメージがあった。
それでも、憧れのようなものは変わらず、歳を重ねるごとに好きな要素が増えて、音楽も、ラヴェルや、ドビュッシー、サティも良いし、ユゴーや、ロランや、デュマの文学にもはまり、いつかは行ってみたい場所になった。
訪れる機会を得たのは、大学を卒業して、10年が経ってからだった。
私は妻にフランス、特にパリに行きたい話しをし、もう一カ国見所が多く料理がおいしいイタリアもいいんじゃないか、と話がまとまった。
休日に、池袋のサンシャイン通りにあった大手旅行会社に足を運び、カウンターで希望を伝えたが、希望のツアーはかなりの人気で、半年前というのに、定員に達し終了になっていた。
イタリアが駄目なら、ドイツもいいかな、
ロマンチック街道というのもあるらしいし・・・。
もらったパンフレットを、パラパラとめくっていると、パリ・ロワール地方、モンサン・ミッシェルへの旅とあり、
見覚えのある写真に、ドキリとした。
円錐形の島のような、山のような街の写真の下に、
「世界遺産のモンサンミッシェル」と書かれていた。
憧れの地フランスに、この島があったんだ!
強い磁石で引き寄せられるような、不思議な縁を感じ、妻の同意を得たのかわからないぐらい内心興奮して、すぐに申し込みをした。
2002年、季節は冬から春に変わり、気持ちの良いゴールデンウィークを迎えた。
気分も体調も、旅の準備も完壁で、成田空港に向かった。
ツアーの参加者は30名程で、13時間の長いフライトを終えて、シャルル・ドゴール空港に着いてからは、バスでパリ市内に入った。
ホテルで一泊し、翌朝レストランでクロワッサンを食べると、濃厚でフンワリした食感に感動し、何個もお代わりして食べた。
その後に乗り込んだバスは、パリの中心部に向かう。
セーヌ河の橋を渡る時、すっきりした青空の下、右にルーブル美術館が見え、左に五階建てほどの建物が並び、電柱もなく、空が広く、美しいなと感じた。
正面の奥には、オペラ座も見えた。
かつて宮殿だった高いルーブルの天井を見上げ、長く太い柱に感動し、ラファイエロや、大きな宗教画に圧倒され、奥の間のモナリザの絵に群がる観光客の多さと、絵の小ささに驚いたりした。
美術の教科書に載っていたモナリザが、目の前で微笑していた。
バスでレストランに移動する途中、夢に見たシャンゼリゼ通りを走り、凱旋門と、左手にはエッフェル塔の姿を見ることができた。
人も車も建物も、何を見ても絵になるほど美しい。
昼食後は、パリ市内から西に向かい、ベルサイユ宮殿に向かった。
翌日は、ホテルをチェックアウトし、北に向かってバスは走り、湖のほとりのホテルで一泊した。
レストランに集まり、テーブルに着くと驚いた。
グラスワインと、水が2ユーロちょっとで同じ値段だった。
日中はオルレアンの町に立ち寄った。
車中でガイドの女性が説明した。
農家の娘、ジャンヌ・ダルクが夢のお告げを受け、馬を走らせ宮殿に行き、
王に忠誠を誓って、敵に占領されつつあったオルレアンの町を死守した話を聞いた。
石畳が敷かれ、中世の街にタイムスリップしたかのような趣があり、
教会に入ると、ステンドグラスからの優しい光に包まれていた。
厳かな室内にオルガンの響きが聞こえてきたかと思うと、教会全体が楽器のように低音が響き、感動が体を包んだ。
午後は、ロワール河に沿って、いくつかの古城を眺め、
城を見学してホテルに着いた。
長い移動の途中、一面に広がるぶどう畑には雨が降り、車内は、うとうとしている人が多く静かになっていたが、私はパリ市内のことを思い出したり、これから訪れるモンサンミッシェルのことを考えて、目が冴えていた。
もうすぐ訪れる「モン・サン・ミッシェル」、
どんな所なのだろう?
車窓からは、分厚い雲で覆われた薄暗いぶどう畑が、延々と続いている。
景色に変化が起きたのはそんな時だった。
一筋の光が斜めに降り注いできた。
まるで宗教画に描かれている光そのものだ。
明るい光線と、周りの暗さのコントラストに驚いた。
光の元をたどるように、窓枠ギリギリの空を見える限り見上げると、分厚い雲の間に太陽の光が眩しく見えた。
宗教画に描かれていた光の筋は、イメージで作られたものと思っていたが、現実に目の当たりにして、一人感動を噛みしめた瞬間だった。
翌日は、海側に出て、モンサンミッシェルに向かった。
車内で、現地ガイドが説明をした。。
今から千数百年前ほどの話である。ある神父の夢に、天使ミカエル(ミッシェル)が「あの岩山に教会を建てて崇拝しなさい」。とお告げを何度も受け、そこに教会を建てたのだそうだ。
「MON」はフランス語で「岩」を意味する、陸地に近い海に大きな岩山があり、そこに教会ができ、巡礼に訪れる貴族、僧、庶民の階層ごとに食堂が作られ、建物が増えて、町が形成されて行ったのだった。
満潮時に周囲が海となるため、かつては引き潮の時に島に渡っていたようだ。潮の流れが速く、命を落とす危険もあったようだ。
名物はオムレツで、安価に腹を満たしてくれるものとして、巡礼者はみな食べたのだそうだ。
そんな説明を聞きながら、正面に三角のピラミッドのようなその山が見え、一キロほど手前まで来てバスが停車した。
レストランで昼食を取るためだったが、メニューは名物のオムレツだった。
バスを降りて、車道を横切る前に、その岩山の町を凝視した。
あの日、中学の木造校舎の美術室で見た、遠い遠い町が、目の前に見えるのだ。
海風なのか、風が強い気がする。
食後にバスに乗り、橋の前の駐車場まで移動し、歩いて橋を渡って、
階段を登り始める。
レストランや、みやげ物店の前を右方向に上がり、そして左方向に上がり、また右方向に上がる。
途中に後ろを振り返ると、いつの間にか高い場所で、青空と海と、小さくなった人が見えた。
聖堂の中に入ると、中庭や、天井の高い食堂や、礼拝堂があり、思った以上に広かった。
裏手に坂道があり、建物の裏を通り抜けるようにして、
また階段の辺りまで戻った。
坂を下りながら、振り返ると、ガランとした暗がりが広がっていた。
過ぎ行く時間よ、
遠ざかる景色よ、
さらば!
心に焼き付けるようにしてその坂を後にした。
弱視の私にとっては、ここからの階段が大変だった。
石段の奥行きと高さが違うので、一段づつ足で確認しての、下りで、上りよりはるかに疲れた。
景色を味わう余裕はなかった。
必死で下り、ようやく、入り口近くのおみやげ屋に着き、私はいろいろな角度、時間帯で撮影されたポストカードを、何枚も買った。
どれもやっぱり美しい。
駐車場まで戻って振り返り、カメラのファインダーを覗いて、シャッターを切った。
その後は、海岸の町テュールのレトロなホテルに泊まり、パリに戻る途中に城の見学をし、画家のモネの「すいれんの池」のある家を見学し、パリのホテルにまた戻った。
あれから、15年が経過した。
世界遺産を紹介するテレビ番組で、フランス革命以前に要塞として使われたり、牢獄として使われ、その後は廃屋同然だったが、
ビクトル・ユゴーがこの地を訪れ、美しいこの岩山の町を紹介したことで、
再び陽の目を浴び、価値を見出されて、
再興されたことを知った。
そう言えば「93年」という作品では、ノルマンディ地方の風景画描写されていた。
フランスには、いつかまた行けるような気がしている。
今度行く時は、パリの街並みを散歩して、本場のカフェでゆっくりした時間を過ごしてみたい。
2017年2月作成。
長文の旅行記でしたが、
最後までお読み頂き、ありがとうございました♪