自由で不安定な生活と、安定して不自由な生活。幸せについて考えてみる。
みなさん、こんにちは。
今日は節分ですが、いつもの日曜日より少し時間ができたので、人生の節目や幸せについて書いてみたいと思います。
最近書いた記事で、高円寺での生活や、レコード会社に勤務していた頃のことを書いていますが、その頃は一人暮らしで自由な故に、給料が入れば、雑誌や服やcd等物欲に走り、飲食やのみ代にもお金は消えて、アパート代や光熱費を支払えば、手元に残るお金はほぼ0でした。
風呂付ではなかったため、毎日銭湯通いで、0時までに走りこむような生活だったのにも関わらず、今思い返すと何故か楽しく、輝いていた日々に見えるのが不思議なものですね。
2001年に妻と結婚し、1dk風呂付のマンションに住んで、引っ越しの旅に広くなって、企業内のマッサージの仕事もまずまず安定し、子育ての大変さもあるけれど、浪費することもなく、お金の心配も今のところはなく、ただ自由な時間が持てず、幸せなのかと言えば、胸を張って幸せと言えるかどうか、いささか疑問ではあります。
たまたま今朝のfm番組に、アコーディオン奏者のコバさんがゲストでお話をされていたのですが、18歳から4年間、イタリアの音楽院に留学していた時に、イタリアの人々は、時間にはルーズだし、私が、俺がと言うけれど、人には優しいそうです。
コバさんも演奏の時に、純粋な気持ちで演奏できず、邪念が入ってしまうと、後悔してしまうとお話されていました。
これは、自分の気持ちに正直に、偽りのない気持ちでいながら、人には親切にすることが、イタリア人の後悔のない生き方と言うのですね。
私はふとんの中で、そのことを聞きながら、「なるほどなー」。と感心してしまいました。
日本ではどうでしょうか?考え方が逆ではないでしょうか?
自分の気持ちを押し殺して、我慢して、ストレスを抱え、時々怒りが噴出し、パワハラ、カスハラ、いじめ等、優しい人は精神を病み、自傷行為に走ってしまう人もいます。昨日はラジオ日本で、世直し先生で有名な水谷先生が、そのことを言われていました。
理想は、自由で、お金があって、心が豊かで充実して、人に優しくできる生活ですね。50半ばの人生ですが、これからまた少しずつ幸せと思える人生に変えて行きたいと、そう思っているところです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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