布団とわたし
いい感じに寒くなってきた。冬だし。
と、書いたが、実際現時点ではそこまで寒くない。むしろあったかい。さすが「地球沸騰化」。
しかしもうじき冬が本気出してくるらしい。最高気温が1桁の日もあるとか。
いよいよ暖房の出番か。
単刀直入に言おう。わたしは暖房器具が嫌いだ。
使用すれば、確かに温かい。しかし、頭がぼーっとしてくる。顔が真っ赤になる。そのうち気分が悪くなる。まるで酔っぱらい。
だから、嫌い。というか、苦手。
それに比べて、布団の温さったら。
こたつではない。あくまでも布団。
寒い寒いと言いながら布団のなかに潜り込む。始めはひんやりしているので、足をこすり合わせたり、太ももと太ももの間に腕を挟んだりして、人間(自分)自身で暖をつくり出す。
そうこうしているうちに、布団のなかが、ぽかぽかとしてくる。
このぽかぽかが、良い。さらにその温みに包まれながらお昼寝なんかできたら、もう最高。
熊とか蛇とか(知らんけど)のように、人間も冬眠が必要だと思う。
仕事や何やらで疲れてカッカした頭を落ち着かせる時間。あるいは、労働からの休息。もしくは、辛くてたまらない日々を乗り越える「タイムマシン」のような存在。
わたしは一時期、死にたいと願うほど、生を否定していた。
今となってはなぜそんなにも、と思うけれども、とにかく、真っ暗で、冷たくて、怖くて、苦しくて、日々、消えたいと思っていた。
そうした日々を救ってくれたのも、医師や家族でもなく、「布団」という存在だった。
布団に潜り込んで、ひっそりと泣く。布団に入っても、なかなか眠れない。
けれども、布団はやわらかく、わたしを包みこんでくれた。わたしを肯定も否定もせず、ただ、傍にいてくれた。
そうした過去があるから、なんて言ったら大袈裟かもしれないけど、布団のあたたかさがわたしは好きだ。
生きていると、人と関わるのが当たり前になってくる。
例えば、知らない他人から親切にしてもらえた時とか、手紙で見る手書きの文字とか、恋人と手を繫いだこととか。もちろん、そういった人とのつながりによるあたたかさに触れられることもある。
だけど、今の時代、孤独を抱えながら、死んでるみたいに生きているような人が、どれほど居るだろうか。
家に独りきりで過ごす老人。外が怖くて1日中部屋に引きこもっている方たち。家族や友人と疎遠になってしまった少年少女。
そうした人たちへ、人とのつながりによるあたたかさなど、本当に伝わるだろうか。わたしは、そうは思えない。
そう考えると、布団によるぬくもりは、ある意味冷えきった社会から自分自身を守る術ではないかといえる。
わたしは今、やはり布団に寝そべりながらこの文章を記述している。だが、もうじき仕事だ。わたしは今日も働く。布団から出て冷めきった社会との闘いにいく。