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日本史25 武士の評価もタイミングが大事

全力出すと死ぬぞ!!!

全力って大事だけど、あまり無理をしちゃいけない。

馬の話ね。

馬って、全力で走ると、心臓発作で死んじゃうらしいよ。

みんなも気をつけて。

班田収授という税の徴収システムや、律令制というルールがうまく機能しなくなった結果として、「武士」という新しい立場の人たちが現れるようになります。

税負担に耐えきれなくなって逃げ出した農民が盗賊になったり、土地のトラブルが頻発したりする中で、農民たちが自衛のため武装し、集団化し始めたんです。
つまり、自分の身、生活を守るために、人は武装して、それが武士と呼ばれるようになったんですね。

「しょうがないのよ」

ただ、まだまだ元農民が集まった集団にすぎないので、この集団をまとめる役がいないと、力って強くならないんですよね。

そこに現れるのが、いわば没落した貴族なんですよ。
皇位継承権を失って「平」や「源」の姓を与えられた皇族の子孫とか、藤原氏の中の「下っ端」の貴族が、盗賊の取締りのために地方に派遣されるんですけど、
派遣された場所の武装集団と結びついて、武士団を形成するようになるんですね。
国の権力争いから脱落した人たちが、
「このまま中途半端な仕事のまま終わってたまるか」って感じで立ち上がるんですね。

「武士たち~、ちょっと集合!」

そして、醍醐天皇の子、朱雀天皇の時代に朝廷を揺るがす2つの事件が起きてしまうんです。

それが、関東と西日本でほぼ同時に起きた、平将門の乱、藤原純友の乱という、武士による大規模な反乱です。
遂に武士が目覚めてしまうんです。

この2つの反乱を合わせて、「承平・天慶の乱」といいます。

「武士なめんなよ」

平将門は、関東の一大勢力、桓武天皇の流れをくむ武士団、「桓武平氏」の一族です。
なんか、暴走族みたいになってますけど。

平将門が関東で地盤を広げていくと、
「国司や豪族の間の喧嘩の仲裁をしてくれ~」って感じで
平将門に調停の依頼がくるようになります。

平将門は依頼された調停は、積極的に請け負っていくんですけど、
喧嘩の仲裁してたら、なんかその当事者に腹が立って、
「お前黙ってろ」って感じで、常陸国(茨城県あたり)の国府を襲ってしまいます。

朝廷への反逆者となった平将門は
「あれ、もしかして、俺、結構、権力ついてきたんじゃね?」と思い、
「このまま天下獲ったる」の勢いで、
次々と勢力を拡大し、関東のほとんどを支配します。

「おら!参ったか!」

どんどん調子に乗る平将門は、
「俺は新時代の天皇になるぜ」ってことで、
自分のことを「新皇」と言い出します。
ちょっとイタイ子なんです。

自称「新皇」の平将門は、家族や部下たちを関東一円の国司に任命して、地域を支配しようとしました。

こういう調子乗ってるヤツは、やっぱり目の敵にされるんですけど、案の定、平将門は、将門のいとこであった平貞盛と、押領使に任命されていた藤原秀郷に討たれてしまいます。

新皇「無念~」


一方、伊予国(愛媛県あたり)の国司だった藤原純友は任期終了後も伊予にとどまり、1000隻あまりを動かす海賊の親分となりました。
1000隻って、白ひげよりも多いんじゃないですか?


藤原純友は瀬戸内周辺の国々、西は大宰府、東は淡路島までを侵略しまくります。
遂には「藤原純友が都を攻め上がる」という噂も広がり、朝廷はめっちゃ焦りんこです。

最終的には、清和源氏といわれる、清和天皇の孫の源経基と、追捕使に任命されていた小野好古が、藤原純友を倒します。

この承平・天慶の乱は、武士たちの初の大規模反乱になったんですけど、
結局は鎮圧されたわけですけど、反乱を鎮圧するにも地方の武士団の力が必要ということが判明したわけです。
地方の武士や盗賊の反乱に対して、朝廷は力不足であり、結局、武士の存在感を見せつけた事件となっちゃたんです。

(´_ゝ`)

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