私が紡ぎ継いでゆく物語
目を開く
そこは何も無い宙間
いや
目の端に何かを捉える
わたしの右手には【白くて丸い塩の塊】
そこから白っぽい『紐』が出ている
私の左手には【白っぽい服を着た中年の人】が立っている
『紐』はその人の腹部からも出ていた
ふと足元に気づく
『紐』が見えた
それは自分の右足、左足に繋がっている
左足の『紐』は【白くて丸い塩の塊】へとつながっており
右足の『紐』は【白っぽい服を着た中年の人】へと繋がりっているようだ
「え?何これ?」
端にいた人が遠くから叫ぶ
「まだ始まっていないから!」
わたしはまじまじと
その人の顔を見る
わたしがこのくらい老いたら、そんな顔になるだろうという顔
どこか両親の顔にも似ている
訳のわからない状況でありながら
わたしは目を開いた瞬間から、この状況を理解していた
その【白っぽい服を着た中年の人】が【死んだわたし】であることを
わたしは比較的若い頃に死んだのだろう
【今のわたし】に理由はわからない
何故なら【今のわたし】は
『紐』の途中に立っているから
【死んだわたし】が遠い『紐』の端から叫ぶ
「こっちへ走ってこい!」
【死んだわたし】が言う
「まだ【わたし】は生まれてない」
「お前が走り始めることで【わたし】が生まれる」
「走ることは編むこと」
「それがお前の役目だ」
【死んだわたし】は『紐』を引く
よく見るとそれは『臍の緒』のようだ
引っ張られた『紐』の衝撃が、わたしの両足を襲う
【今のわたし】が走り出す
走ることは好き
得意だ
回り出した【今のわたし】の両足が
細かった『紐』を、太くしっかりとした『縄』へと編んでいく
【死んだわたし】は強く、弱くと、『紐』を引く
『紐』は伸びたり縮んだりして【白くて丸い塩の塊】を揺らす
【白くて丸い塩の塊】は
傾き、転がったりしながら
『縄』を引っ張ったり、緩めたりしているようで
時間はわからない
気づくと【白くて丸い塩の塊】は 小さな赤子へと変化していた
【生まれたばかりのわたし】が現れ
大きな声で泣き出した
臍の緒に似た『紐』は、やはり赤子の臍に繋がっていた
【今のわたし】も【死んだわたし】も
喜びと安堵に 頬を緩める
【今のわたし】も【死んだわたし】も
この事を知っているし
この事が解っていた
しかし【今のわたし】は
今いる『紐』と『縄』の上までの事しか 知らない
【今のわたし】は再び走り出す
【死んだわたし】の元へと
そっと目を閉じる
◆ ◆ ◆
じんわりと意識が上昇し
目が開く
カーテンの閉じた
薄暗い
いつもの部屋
目覚ましが鳴る前に 起きるのが日課
寝起きはいい方で
まずはベットの上
ストレッチで身体をほぐす
軽くだが、ほんの少し動かすだけで筋肉が温まり 動きやすくなる
大学を卒業したその年に
そこそこに大きな建設会社に入社
その会社の マラソン社会人チームに所属しながら
品質管理の部署で研修中
大学で部の監督の言われるまま、ここに就職してしまった
思えば誰かに決められるままの人生、学校に行って、就職し
本当は部に入るつもりもなかった
とはいえ『それについて』不満はない
・・・
子供の頃から、気づくと走ってた
走ることが気持ちよかった
毎日違うルートを、おかげで地理に詳しくなり
たった一人で
ただ走る
流れる景色を見ながら、考え、肌で季節を感じる
呼吸と身体が調和してくる感じが好き
思考も冴えて加速する
走る時間以上に、脳の処理速度が早いのか
思考や妄想がとてつもなく捗る
それでいて
ぼうっと、意識が無になる部分・時間もあり
無意識の中での回転が
永久運動の一部になったかのような錯覚
それが楽しくて
自分の身体と意識、呼吸が一つになった瞬間
走りながらハマるその時間と流れ
それがとても気持ち良くて
ただ走るだけのことが 好き
・・・
そろそろ家を出る
会社まで走って42分の道のり
動きやすいスーツと
足元はランニング用スニーカー
背負うビジネス用バックパックに革靴を入れる
革靴の「自分が思う以上に感じた重さと負担」に
眉間に皺がよる
人生ほぼスニーカーで過ごしてきたわたし
この革靴のせいで、かなり足を痛めている
これは拷問器具だ
この革靴のせいで、会社をやめるつもりだ
いや、やめる
これは本当だ
まだ研修のうちに、辞める
絶対辞める
とにかく足が痛い
スニーカーで豆ができるのは許せる
自分なりにカスタムできるから問題ないが
革靴はダメだ
無理
もう無理
辞めるぞ
玄関を開け、外に走り出す
・・・
なかなか上手くいかないものだ
「辞める」と伝えたら
指導員の一人は普通に「そうか」という顔をした
毎年いるのだろうな
でも、それを聞いた別の人が
慌てて会社のチーム監督に内線連絡取り
これまた慌てて駆けつけた監督から
「辞めるな」と説得された
ぼーっと走っていたわたしは
結果も
ぼーっとしながら受け止めていたけれど
周囲からすると、かなり良い成績らしく
相手から、色々な話し合いと交渉をされ
結果
「辞めない」と言わされた
とにかく
社内ではスニーカーで良いこと
営業の時だけビジネスシューズを履いて欲しいが
革靴じゃなくていい
今は工事現場に行く営業の人用の、足に負担のない、動きやすい構造と素材のビジネスシューズがあると教えてもらい
とにかく、今から買いに行こうという話になり
現場主任で営業もしている先輩社員の人に、店へと連れて行ってもらい
一足購入してもらった
不満はあるが
ここまでしてもらうと
折れるしかないのか?
これだけの出来事があり
結局その日は、仕事を学ぶこともなく
会社の就業時間を迎え
帰宅した
42分間走り
身体は気持ちいいのだけど
心はひどく疲れた
◆ ◆ ◆
目を開く
そこは何も無い宙間
【死んだわたし】と【生まれたてのわたし】が
互いに繋がる『紐』を引いている
『紐』は互いに、力強く引っ張られている
【生まれたてのわたし】も思いがけない強さで『紐』を引いている
赤子の身体なのに、重さを感じる
転がりながら、身体が縮むと『紐』も強く引っ張られ
赤子が伸びをすれば、緩くなる
それでも引くのに変わりはなく
【死んだわたし】も腰を入れて引いたり
肩に『紐』を背負い、体全体を使って『紐』を引く
かなりの重労働ではないか?
【今のわたし】は【死んだわたし】へと走る
ふと、なんとなく振り返った少し後ろの『縄』に
『瘤』ができている
上手く編めなかった部分だろうか
気づくと、赤子までの『縄』の上
いくつも歪な『瘤』ができていた
【今のわたし】記憶の蓋が少し開き
モヤモヤと、胸が重くなり
ハッとして意識を戻す
いや、気にしないで
忘れよう
記憶の蓋を閉じ
目も閉じて
◆ ◆ ◆
じんわりと意識が上昇し
目が開く
カーテンの閉じた
薄暗い
いつもの部屋
目覚ましが鳴る前に起きるのが日課
今日はパートナーとの結婚式
二人とも小さな結婚式にしたかったのに
わたしの両親と会社の上司から説得され
思った以上の規模となり
憂鬱だ
パートナーと一緒に寝るようになってから
ストレッチはリビングの床でしている
社内恋愛、社内結婚だ
わたしらしい、と思う
パートナーと家を出るまで
時間はたっぷりとある
準備はすでに終えているし
今日も走りに行こう
会社に勤めて7年
その間にいくつか大会での優勝
個人での記録もいくつか取った
相変わらずわたしは走る
走り続けている
パートナーはわたしの趣味や仕事に興味はない
わたしもパートナーの趣味や仕事に興味はない
一緒にいて『ラクだな』と思うから
二人で一緒にいて
二人で一緒に住みはじめた
周囲が『けじめつけた方がいい』と言うので
仕方なく
籍を入れることにした
周囲が『疲労するのは大事、大人の役目』というので
仕方なく
結婚式をする事になった
籍にこだわりはない二人だったが
名前のことだけ、わたしたち二人は最後まで揉めた
そして、わたしが苗字を変えることに
その後、わたしだけがとても大変だった
苗字変えた後の書類の変更届や手続きが
本当に大変だった
苗字を奪われるという精神的苦痛も重なり、辛かった
パートナーのアドバイス通り
届けだけ先に出し
名義変更の全てを終えておいて良かった
結婚式の準備と開く事に
気力体力、時間の全てを根こそぎ持っていかれ
さらに主役が自分という圧力に
心が折れ、逃げ出したくて仕方ない日々を
走ることで
乗り越えられた
正直いうと
同棲生活の延長なので
変わらない日々が始まるだけの事なのだけれど
籍を入れ、結婚式を挙げるというだけで
突然、胸に不安が溢れてくる瞬間が何度もあり
そのたびに胸が詰まり
息苦しくなる
それさえも
走ることで乗り越えた
走る準備を終え
外に出る
正面から受け止めた朝日の眩しさに
そっと目を閉じ
◆ ◆ ◆
目を開く
そこは何も無い宙間
【死んだわたし】と【生まれたてのわたし】が
互いに繋がる『紐』を引いている
【今のわたし】の足に『紐』が絡んでいる
両足引っ張られながら
絡んだ『紐』を丁寧に解いていく
【今のわたし】の足は重い
引っ張られた『紐』で足がもつれる
上手く走れない
それでも
【今のわたし】は走る
それしかできないから
当たり前だが
【死んだわたし】との距離も近づいている
【生まれたてのわたし】との距離も 遠くはなく
むしろ近づいていた
気づくと
【生まれたてのわたし】と【死んだわたし】を繋ぐ『紐』の長さは
全体的に短くなっているようだ
あれだけ引っ張り合っていても
伸びていくわけではなく
むしろ引くたびに
【生まれたてのわたし】と【死んだわたし】の距離も近づいていた
それを【今のわたし】編み込んでいけば
さらに短くなるだろう
視界が霞む
重たい足
それでも、走る
目を閉じた
◆ ◆ ◆
じんわりと意識が上昇し
目が開く
カーテンの閉じた
薄暗い
いつもの部屋
目覚ましはもうかけていない
今はもう
部屋に一人
あの頃は3人だった
走ることが一番で
二番も三番もなく
全て満遍なく平等に、興味がなかった
それが突然変わった
産まれてきた子供により
世界反転した
あまり感情が動かないわたしの心を揺すぶる
子供という存在
走る事と同じくらい
それ以上に
大事なものができた
正直
パートナーに向ける気持ちよりも
子供に向ける気持ちの方が大きい
初めて喜びを知った
走ることが喜びで
幸福だと思っていたけれど
違った
笑った
3人で
たくさん
笑ったんだ
それが今は
わたし1人
その時のわたしは
泣いた
泣くことしかできなかった
周りは騒がしかった
とにかく
周りが煩かった
そこから
逃げるように走る
考えたくない
忘れたいから走る
知らなかった
知りたくなかった
自分をとりまく
全てから離れたかった
誰もいない場所へ
1人になるために走る
気づいたら
1人になっていた
買い替えてない草臥れたスニーカーに足を入れ
開いたドアの先
高かった陽が ゆっくりと沈んでいく
夕日に照らされたわたしの横顔はやつれ
真っ赤に染まっている
そっと 全てを
閉じた
◆ ◆ ◆
目を開く
そこは何も無い宙間
【死んだわたし】と【生まれたてのわたし】が
互いの臍に繋がる紐を手に
待っていてくれた
【今のわたし】が編んだ『縄』は
腕の長さほどになっていた
【死んだわたし】と【今のわたし】との距離は
ほぼ0距離となっている
【生まれたてのわたし】が【死んだわたし】の腕の中で微睡んでいる
【死んだわたし】が空いている方の腕を広げている
【今のわたし】は その腕の中に倒れ込む
それはまるで ピエタ像のように
「わたしはまた、わたしに会うよ」
【死んだわたし】は【生まれたてのわたし】と【今のわたし】を抱え
小さく身を寄せ合う
【死んだわたし】が3人の体に
完成したばかりの『縄』で
まとめ、巻きつけていく
全身すっぽり『縄』に包まれた3人は
ひとつの『繭』となる
心地よい『繭』の中で【わたし達】は
ゆっくり溶けて 混ざり さらに、ひとつとなる
【わたし達】が【わたし】になった『繭』の中
ひとつがふたつ ふたつがよっつ と
分裂を繰り返し
【わたし】は『蚕の幼虫のような胎芽』の姿へと変容する
【わたし】は姿の通り、糸を吐き 紡いぎ
【来世のわたし】と【前世のわたし】を継なぎ始める
糸を継ぐ間
ふとした時々に【前世のわたし】と繋いだ糸の先の震えで感じ
【わたし】前と、その前、いくつも前の【わたし】の記憶に酔う
役割を終えた【わたし】は
『繭』の中で
しばらく眠りにつく
徐々に『繭』は変化し
【白くて丸い塩の塊】となるだろう
【わたし】が継ないだ糸の先に
【来世の死んだわたし】が待っていることを
【わたし】知っている
いずれ『臍の緒』の上に姿を現す
【来世のわたし】を
【わたし】知っている
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