追想アナンダ・クリシュナン〜マレーシアの国際的実業家


私がいままでに出会った実業家の中で最も印象深く、畏敬の念を持ってお付き合いしたマレーシアのアナンダ・クリシュナンさんが亡くなられました。そんな知らせを日経の元同僚が教えてくれました。

日本ではあまり知られていないかもしれません。いや、滅多にメディアの取材を受けないので地元でもその実像を知る人は少ないかもしれません。スリランカにルーツを持つ敬虔な仏教徒として育ち、大学は豪州メルボルン大学、それから米国のハーバードビジネススクールに学びました。

資源ビジネスで財をなし、私が出会った頃はクアラルンプール中心部に国営石油会社ペトロナスと共同でクアラルンプールツインタワーを建設していました。携帯電話、衛星通信への投資に続いて英国では地方新聞の持ち株会社を買収してメディア事業も展開しました。本人からメルボルン大学時代に新聞部にいたと聞いたことがあります。

1996年、突然彼から電話がかかってきて、「アウンサンスーチーに会いたい」というのでクアラルンプールの自宅を訪ねて、その理由を聞き、私が思いついた会うための方法を教えました。毎週末、彼女は自宅軟禁中でも自宅門外に集まった数千人の支持者の演説をしているので、その門番に用件と自己紹介を書いた手紙を託せばいい、と助言したのです。

「彼女は私のことを知っているだろうか?」と問うので「たぶん知らないでしょう。でもミャンマーの新聞でもクアラルンプールに世界一のノッポビルができることは報道されています。その共同オーナーであると伝えればわかってくれますよ」と答えました。

彼は3日後、プライベートジェット機に乗ってヤンゴンに行き、その通りにしました。夜8時頃、ホテルで待機していた彼のところにアウンサンスーチーさんから電話がかかり、「これから自宅へどうぞ」と招かれたそうです。マレーシアに帰国後、「私はやり遂げた。ありがとう」という電話がかかってきました。

彼の任務はマハティール首相から託されたメッセージを口頭でアウンサンスーチーさんに伝えることでした。「来年ASEAN議長国としてミャンマーをぜひASEANの加盟国として迎え入れたい。それはミャンマーの経済発展、国民の幸福にもつながるからどうか反対はしないでほしい」という内容だったと聞きました。

彼女は決して賛成はしなかったようですが、強硬に反対することもしませんでした。実業家であっても政治の重要な場面で国や社会に貢献する姿をその場で見せてもらうことができました。私にとっても非常に懐かしい思い出です。

いいなと思ったら応援しよう!