全国制覇を夢見た遅咲きの起業家~ジョイフル/アメイズ創業者の穴見保雄さん
「杉乃井ホテルを買わないかという話が来ているんだ」
■杉乃井買収を銀行が持ちかける
穴見保雄さんがそう言ったのは、別府の亀の井ホテルから大分に向かうクルマの中でした。2001年の初めころのことです。価格は60億円くらいだったでしょうか。
「高すぎます。債務超過ですよ。銀行がホテルに貸したお金をあなたから回収しようと思っているに違いありませんね」
私は1999年夏から杉乃井ホテル経営再建問題を取材していました。別府温泉というより九州を代表するリゾートホテルですが、バブル崩壊後の観光低迷、団体旅行の激減といった問題に苦しんでいました。赤字続きのうえ100億円を超す銀行借り入れがありました。施設は老朽化していて更新投資も必要でした。
杉乃井ホテルの主取引銀行だった大分銀行はホテルの資金繰りを支援しつつ、融資が焦げ付かないよう買い手を探していました。私は、ホテル倒産前にどこかが買い取るならその価格は「1円」が妥当だと考えていました。
■穴見氏、杉乃井買収提案を断る
ファミリーレストラン、ジョイフル創業者の穴見さんは、本業で儲かった資金をホテル事業に投資し、別府温泉の老舗、亀の井ホテルを低料金のファミリー向けのホテルとして再生していました。
当時、別府温泉は不況のどん底にあり、ホテル・旅館が続々倒産していました。そんな中、ファミレスで成功し、ホテルでも別府では亀の井ホテルひとり勝ち状態でした。
「まず値段が高すぎる。それに杉乃井を買収したら労働組合との話し合いを含めてホテルのことだけでかなりの時間をとられてファミレス経営どころではなくなりますね。再生に成功したらしたで地元でやっかみを生むことだってあるでしょう」
穴見さんは大分銀行の提案を断りました。そして2001年5月の大型連休の真っただ中、資金繰りに行き詰った杉乃井ホテルは倒産しました。スポンサー企業を募るには、民事再生法の適用を申請して銀行団に債権カットを求めるしかなかったのです。
大分銀行が探してきた候補は北海道のカラカミ観光でした。しかし、不況に苦しんでいるのは北海道も同じで、カラカミ側に余裕があったわけではありません。ほどなく、条件が折り合わず撤退しました。
■ビジネスホテルのチェーン展開に邁進
ハゲタカと呼ばれた米系の企業買収ファンド運営会社リップルウッドや盛和塾関係者が杉乃井ホテルの渡辺辰文社長から頼まれて会長を務めていた縁で京セラの名前も浮かんだりしましたが、最終的に再建スポンサーになったのは北海道の加森観光とオリックスの連合でした。
リゾートホテルとしての運営は加森観光が引き受け、ホテルの改装など経営再建に必要な資金はオリックスが出しました。いま振り返れば、杉乃井ホテルの破綻はホテルやゴルフ場などのファンドによる買収のさきがけでした。民事再生手続きで債務削減に成功した杉乃井ホテルはたちまち競争力を回復し、建物の建て替えにも取りかかっています。
私が驚いたのは杉乃井買収を断った後の穴見氏の行動です。ファミレス経営を長男の陽一氏に委ね、自らはホテル経営に専念するようになったのです。
「ホテルもファミレスのようにチェーン展開できないか」
穴見氏は1994年に亀の井ホテルを買収した後、無駄を省き、低料金でも確実に利益ができるようなホテルのビジネスモデルをずっと研究していたのです。
頭の切り替えの早さは穴見氏の特徴です。もうかっていた亀の井ホテルもビジネスホテルのコンセプトから外れると判断して売り払い、会社名をアメイズ、ホテルのブランドもホテルAZへと変更しました。
ファミレスのジョイフルは、駅前の立地より車で立ち寄りやすく出店コストも安いロードサイドへの大量出店を成長の原動力にしていましたが、ホテルAZを出店した場所もロードサイドでした。
朝食付き1泊4800円(税込み5280円)のこのホテルの売上高は2021年11月期118億円、経常利益は9億円です。コロナ禍の前より売上高は3割ほど減っていますが、堂々たる成績です。ホテル数も11月末時点で九州中心に85店舗に増えていて、最近は中四国地方への出店を強化しています。
■自らの決断に悔いなし
債務カットで身軽になった杉乃井ホテルは、加森観光・オリックス連合のもとで高台から別府湾を見下ろす露天風呂「棚湯」オープンなど思い切った投資も進め、人気を取り戻しました。2021年7月には虹館を開業、2025年までにもう1つの新棟、それに既存のHANA館の建て替えなど全面リニューアル工事を完了させる予定です。
加森観光からホテル運営ノウハウを吸収したオリックスは現在、国内13カ所でホテル・旅館を経営していて、杉乃井ホテルはその中心的な施設になっています。
「杉乃井ホテル買収提案を断った決断を後悔していませんか?」
穴見氏に何度かそんな質問をしたことがありますが、答えはいつも決まっていました。
「自分にはできない。買っていたら大変なことになっていた」
逆に買収しなかったことで、ビジネスホテルのチェーン展開という新しい目標を設定することができ、ジョイフルに続いてアメイズも福岡証券取引所に上場することができたことを喜んでいました。
■もしジョイフル社長を続けていたら
穴見さんの経営者としての人生を振り返ってみたいと思います。
焼き肉店を発展的に解消して、ファミリーレストラン「ジョイフル」のチェーン展開を始めたのは44歳のときした。その経営を長男・陽一氏に託して、ビジネスホテル「ホテルAZ(旧・亀の井ホテル)」のチェーン展開に専念するようになったのは68歳のときです。
遅咲きの起業家ですが、この2つの事業はいずれも成功をおさめ、福岡証券取引所に上場しています。
米国式のチェーンストア理論を持ち込んで、ダイエー、イトーヨーカ堂など数多くの量販店を育てた経営コンサルタント、渥美俊一氏のペガサスクラブの門をたたき、外食に詳しい武川淑(よしお)氏の知遇を得たのが飛躍のきっかけでした。
1979年創業のファミレス、ジョイフルは手ごろな料金でお客がよろこぶ食事、サービスを提供することを第一に、駅からは遠いものの車で立ち寄るには便利な場所に積極的に出店しました。
私が初めて穴見さんに会ったのは1999年ですから創業から20年たった時点ですが、不況下でも年間数十店規模の出店計画を打ち出して最も勢いのある時期でした。ペガサスクラブに入会したとき、1000店舗にするという目標を立てたのだといっていました。
客観的にみて、穴見さんは起業家として申し分のない成績を残していることは間違いないのですが、その頃の意気込みを知る私は「もし、ジョイフルの社長を長男に譲らず初志を貫徹していたらどうだっただろうか」と考えることがあります。
社長を交代する前の数年間、穴見さんは全国各地に地域子会社を作り、ファミレス経営に意欲的な人物を社長としてヘッドハントし、パートナーとして子会社にも出資してもらい、一気に全国展開していく準備を整えていました。
「全国展開できる人材は東京にいかなければ探せない」
ホテル経営に専念するようになった晩年も口癖のように言っていました。日本経済がバブル崩壊後の不況のどん底にあった1990年代、リストラなどで大企業から優秀な人材が大量に流出していましたし、成長する事業なら資金調達も容易でした。
しかし、穴見さんが後継に指名した長男・陽一氏は本社に権限を集中するためこの地域子会社制を廃止してしまったうえ、経営に専念するどころか衆議院選挙への挑戦を始めてしまいました。ビール会社出身者を経営幹部に据えたり、中国進出を試みたりしましたが、はかばかしい成果を上げることができず、ジョイフルの経営は迷走を続けています。
ジョイフルもアメイズも九州では断然強い立場にありますが、穴見さんの心はやはり全国制覇にありました。ホテル事業でもジョイフルが一時試みたことのある経営陣のヘッドハント、地域子会社方式による全国出店の夢を思い描いていたようです。
ビジネスホテルの経営は2016年から次男の賢一氏に委ねていて、アメイズが経営戦略として穴見さんの考え方を採用することはありませんでした。しかし、利益が思うように伸びなかったり、社内の人材不足が問題になったりするとき、私に対して、穴見さんはパートナー探しの重要性を口にすることがたびたびありました。
もちろん、穴見さん自身が40代、50代の働き盛りであれば、地域子会社があろうがなかろうが、ファミレスもビジネスホテルもM&Aを含めて全国へのチェーン展開を進めていただろうと思います。
ジョイフル社長を長男に譲った時はもう60代後半でしたが、もし、この時、社長を退かず、ホテル事業への投資もほどほどに抑えて、ファミレス経営に専念していたらどうだっただろうか、と考えてみることがあります。
そしてこう思うのです。目標の1000店舗(2021年6月末621店)はとっくに達成して、業界トップの「すかいらーく」を脅かすくらいの規模に育っていたのではないかな、と。
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穴見さんは今年1月12日、ご家族に見守られながら旅立たれました。享年86歳。経済記者として経営者穴見保雄さんから事業経営とはどういったものか多くのことを教えていただきました。心からご冥福をお祈りします。