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政治と宮沢賢治~羽田孜さんが懐かしい
ミスター政治改革とも呼ばれた元首相、羽田孜(つとむ)さん(2017年没)は宮沢賢治の愛読者でした。
戦前、朝日新聞記者から政治家に転身した父・武嗣郎さんが政治活動の資金を作るために「羽田書店」を創立し、1939年(昭和14年)に賢治の童話集「風の又三郎」を出版しました。
そんな環境のもと、羽田さんはまだ、字を習い始めたころから賢治の童話に親しんでいたようです。著書「志」(朝日新聞社、1996年)でこう書いています。
幅広く友達を作ろうというのも、『雨ニモマケズ』に学んだのかも知れません。だって、あの詩には「東に病気の子あれば」から「北に喧嘩や訴訟あれば」まで、東西南北に分けて、あっちへ行って何をし、こっちへ行って何をし、ということが書いてあるでしょう。それをどこかで意識していたのか、子どものころから割合とおせっかいなところがありました。
結核で病んでいる子の家を訪れ、その子のふとんの中にはいって、お母さんや近所の人たちに叱られた経験もあるとか。
日本の場合でも政治家を目指す人の「こころざし」の根っこの方には、弱い人や困っている人をなんとか助けたいという気持ちが、もともとはあったはずです。ところがどうでしょう。最近では、あと半年か一年国会議員を続ければ議員年金がもらえる資格ができるので「解散・総選挙は先に延ばしてほしい」という議員すら出てきました。国会議員もそこまで落ちたのか、と思います。昔の政治家はそんなことは考えませんでした。当落を度外視して自らの信念を訴えた人が多くいたのです。
「雨ニモマケズ」のようにデクノボウと呼ばれようと、弱い人や困った人への思いやりを持ち続けた羽田さんだったら裏金問題やコメ不足にどのように立ち向かっただろう――そんなことを思ってしまいました。
「刷新感」を競うという自民党の新しい総裁の候補者の中に果たして「デクノボウ」のような人物はいるのでしょうか?