「ヴィラ風の音」買い主は旧村上ファンド~NPO起業家・大西健丞氏の尻ぬぐい

1、ヴィラ開業目的はカネ儲け

 NPO起業家の大西健丞氏が瀬戸内海に浮かぶ離島でプライベート感あふれる高級リゾート「ヴィラ風の音」の開発にとりかかったのは2006年のことでした。NPO法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ、広島県神石高原町、大西健丞代表理事)がまだ東京を本拠地にしていた時期です。

 大西氏はさまざまな出来事で疲れた心をいやすため、PWJの活動を小休止し、友人の誘いで訪れた福山市に住んでいました。2005年には、大阪から呼び寄せた実妹を社長にした会社「風の音舎」を設立し、観光ビジネスを始めています。

 当時はホリエモンことIT起業家の堀江貴文氏が広島県尾道市から総選挙に立候補したり、村上世彰氏の村上ファンドがいくつもの上場企業の大株主として登場し、株主への利益還元や経営改革を迫ったりして、メディアで盛んに取り上げられていました。

 アフガニスタン復興支援会議へのNGO参加をめぐる政治家・鈴木宗男氏との争いでちょっとした有名人になっていた大西氏は、お金もうけに成功して政治や経済の改革を叫ぶほぼ同世代の若者の露出ぶりをみて、きっと闘争心をかきたてられたのでしょう。自らの知名度とスポンサーとのコネをいかして、お金もうけを始めて、資金力のない弱小団体が多いNPOの世界に新風を送り込もうと考えたようです。

2、実妹と妻も立ちあげに参加

 福山市鞆の浦に大西兄妹が設立した「風の音舎」は2006年に豊島に高級宿泊施設「ヴィラ風の音」開発用の土地を取得しました。

 豊島の連絡船乗り場の正面の小高い丘に、母屋と4つの木造平屋建てのコテージが海を見下ろすように建ち並んでいます。コテージの広さは60平方メートル型が3つ、90平方メートル型が1つ。2億円以上を投資して開業にこぎつけたのは2007年7月です。

 大西健丞氏の妻、純子氏も支配人をしていたということです。大西夫妻は結婚披露も完成直後のこのヴィラで行ったようです。開業当初には次のような記事(マイナビニュース、2007年6月7日)も配信されていて、いまも読むことができます。

■風の音舎は7月1日、瀬戸内海に浮かぶ愛媛県の豊島(とよしま)に宿泊施設「ヴィラ 風の音」をオープンする。宿泊とクルーズのセット販売により、快適な宿泊を提案する。料金は、1泊2食付の宿泊プランと船による送迎(鞆の浦、豊島間)の組み合わせで58,900円(9月末までの料金)。また宿泊施設は4名定員の棟が1棟(ツインタイプを2部屋用意)、2名定員の棟が3棟(ツインタイプ1、ダブルタイプ2)となっている。

3、化粧品セールスの女性らが資金協力

 スポンサーとして大西健丞氏にヴィラの開発資金を提供したのは、PWJの活動を応援する化粧品販売代理店の女性経営者らです。

 もともとNPO法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ、広島県神石高原町、大西健丞代表理事)を資金的、人的に支えていたのは大阪のエルセラーン化粧品という会社でした。

 同社の創業者・石橋勝氏は、上智大学に通っていた愛娘の桂さん(故人)の大学先輩である大西健丞氏から相談を受け、PWJに資金協力し、NPO創設時から長く代表理事を務めていました。PWJ定款によると、娘の桂さんも設立当初のPWJ理事の1人でした。

 慈善活動家でもある石橋氏は大阪の民放(テレビ大阪)で自身のテレビ番組「石橋勝のボランティア21」も持っていた時期があり、のちに大西氏の妻となる純子氏もその時アシスタントを務めていたようです。

 いろんな意味で大西氏と深いかかわりのあった石橋氏ですが、2006年に開発途上国での支援活動方針が自身の考えと異なることを理由にPWJ代表理事を退任し、資金援助も打ち切りました。その後の無計画ともいえる様々な事業への参入と失敗、財務内容の悪化などをみると、PWJの迷走はその時点から始まっているのかもしれません。

 エルセラーン化粧品がPWJへの支援を打ち切った時、代理店経営者の一部が新たにグループを作り、PWJへの資金協力を続けました。その受け皿となったのが「風の音舎」です。大西氏が「金儲けをしてPWJの活動資金を自分で稼ぎ出したい」とでも力説したに違いありません。

 しかし、残念ながら事業は大失敗に終わりました。

4、2013年、東京の会社に売却

 ヴィラ完成前に風の音舎の社長は大西氏の実妹から化粧品代理店グループのリーダーに交代し、その後、社名や本社所在地も名古屋市の現在の所在地と化粧品会社名に変更されています。

 大西氏はきっと強がりな性格なのでしょう、自著「世界が、それを許さない。」(2017年、岩波書店)の中で、化粧品事業は風の音舎の事業の一部であるかのような説明をしていますが、実態は異なります。化粧品部門が風の音舎の稼ぎ柱で、社名を変更し、大西兄妹が推進した観光事業を不採算部門としてリストラしたのです。

 2013年3月には「ヴィラ風の音」の土地・建物を東京のお金持ちが買い取りのために設立したとみられる「合同会社風の音」に売却し、観光事業から完全撤退しています。大西健丞氏も取締役を退任させられました。

 この化粧品販売会社は現在、PWJとも大西健丞氏とも付き合いがなく、「大西氏との関係が取りざたされることを遠慮したい」ということでした。筆者は昨年、当時の事情に詳しい役員らに会って経緯を聞き取りましたが、現時点では社名や個人名を紹介する必要はないと考え、とりあえず会社名や役員の方々のお名前は伏せておくことにします。

 「ヴィラ風の音」の毎年度の収支は不明なのですが、「ヴィラ風の音」の売却価格は3千万円程度だったということを旧「風の音舎」の方から聞きました。大きな損害が出たものとみられます。

5、2015年、NPOがヴィラ買い戻し

 大西氏は自らの結婚披露宴も行った「ヴィラ風の音」に個人的な思い入れが強いのか、その2年半後、驚くような行動に出ます。

 2015年10月、PWJと同じ広島県神石高原町に本部を置くNPO法人・瀬戸内アートプラットフォーム(大西健丞理事長、現在は本部を愛媛県上島町に移転)を通じて、「ヴィラ風の音」を買い取った会社からその土地・建物を買い戻すのです。

 2015年度にPWJは、PWJの観光部門ともいえる瀬戸内アートプラットフォームに6千万円を貸し付けています。同年度の事業報告書の財産目録をみると、建物4508万円の項目に「ヴィラ風の音」を指す「豊島ゲストハウス」との注記が初めて登場しますから、実質的にはPWJが買い戻したようなものです。土地も800万円分ほど増えています。

 明細書が閲覧できないので断定することは難しいのですが、これらの金額から推測すると、旧風の音舎が東京の会社に売却した時の価格よりも高く買い戻した可能性がありそうです。

 いずれにしても、大失敗に終わった大西兄妹によるリゾート開発事業をPWJ/瀬戸内アートプラットフォームという大西健丞氏が代表を務めるNPOが連携して買い戻したわけです。ケジメにうるさい経営者なら考えもしないような、公私混同とも言うべき振る舞いです。

6、「ふるさと納税」での再生も失敗

 いったい何のために?

 これもまた「地方創生バブル」の悲しい現実の1つといってよいと思いますが、大西健丞氏は「ふるさと納税」の高額寄付者への返礼品として、高額寄付者を豊島ゲストハウス(ヴィラ風の音)に招待することにしたのです。

 50万円以上で1泊2日などのメニューを用意していました。クルーザーで瀬戸内海を旅する外国人らが宿泊したいというときも、宿泊料の代わりにふるさと納税を求めたりしていたようです。

 「ふるさと納税」という美名を利用して、株式会社時代より高い値段で集客しようとしたわけですが、そんな高額な寄付をしてまで泊まる客はごく限られています。

 ふるさと納税がもとになっている上島町や本部のある広島県神石高原町からの交付金収入は2017年度(2018年3月期)で630万円、2018年度(2019年3月期)は455万円しかありませんでした。
 
 実質破綻状態だった旧風の音舎の「ヴィラ風の音」をNPO瀬戸内アートプラットフォームの「豊島ゲストハウス」として買い戻し、「ふるさと納税」で稼ごうとした大西氏の目論見は外れました。そして2018年度中にひそかに売却されたのでした。

 瀬戸内アートプラットフォームが公表した2018年度事業報告で旧・ヴィラ風の音とみられる建物、土地が消えていましたから、売却したのだろうと推察できました。

7、2019年、ATRAがヴィラを買い取る

 事業報告書では、売却の事実に一切触れていないため売却先やその理由は不明でしたが、最近、登記情報をみて、2019年2月25日に東京都渋谷区に本社がある株式会社ATRAに所有権が移転していたことが確認できました。

 この株式会社ATRAはその所在地から投資家・村上世彰氏の娘、村上絢(本名・野村絢)氏が社長を務める投資会社であることが特定できます。つまり旧村上ファンドのグループ会社の1つです。

 昨年、筆者が豊島を訪れたとき、付近で釣りをしていた人たちが「村上ファンドの娘たちをよく見かけるよ」と言っていたのですが、ゲストやスポンサーの立場ではなく、オーナーとして島を訪問していたわけです。

 財産目録によると、このATRAが豊島ゲストハウス(旧・ヴィラ風の音)を買い取ったうえに、約5千万円を社債という形で瀬戸内アートプラットフォームに融資しているようです。

 瀬戸内アートプラットフォームはPWJからの借入金6千万円のうち5千万円を返済していますが、これはおそらく親元であるPWJの経営が苦しく、子である瀬戸内アートプラットフォームへの貸し付けを回収したものだと推定できます。

 ただ、率直なところ不可解な経理操作が多く、意図を読み切れません。瀬戸内アートプラットフォームの正味財産は2018年度末4510万円のマイナス(債務超過)と、いつ破綻しても不思議ではない状態にもかかわらず、同年度中に2000万円を外部に寄付してもいるのです。

8、NPOの本部を広島から愛媛に変更

 瀬戸内アートプラットフォームは今年3月、主たる事務所を広島県神石高原町から愛媛県上島町に移すことを決めて、定款変更の手続きを始めたようです。上島町のふるさと納税制度は条例で町内に主たる事務所をおくNPOにしか認められないはずなのに、町当局の超法規的な運用で瀬戸内アートプラットフォームも主たる事務所を置いているとみなして交付金を受け取ってきました。

 瀬戸内アートプラットフォームは広島県神石高原町でも「ふるさと納税」の交付金を受け取るNPOとして2018年度まで認められていて、両方から交付金を集めていたわけです。

 愛媛県上島町の議会で、条例で決めたルールとの食い違いが問題になり、町役場と大西健丞氏らPWJ/瀬戸内アートプラットフォームの関係者との間で話し合いをした結果、主たる事務所を上島町に移転することになったのでしょう。

 しかし、この本拠地移転に私は危険な匂いを感じます。

 実はピースウィンズ・ジャパンは昨年、上島町から豊島にあるコミュニティセンター(写真)の建物を無償で譲り受けました。そして町ではその土地まで譲り渡そうかという議論が起きています。

 繰り返しになりますが、大西健丞氏は豊島での事業に2度失敗しています。ふるさと納税の看板を使っても、ヴィラ風の音の再生には失敗しました。親会社といっていいPWJも含めて投資家村上世彰氏のグループ会社による貸し付けや資産買い取りでかろうじてNPOとして存在し続けている状態です。

9、大西氏は潔く上島町から撤退を

 PWJは上島町の弓削島にある「海の駅」の運営も受託していましたが、今期は返上するようです。国際貢献を目指す若者の育成を目的に2020年に開校することを目標にしていた国際学校(ピースワラベ)事業もいつ実現するのか不明です。

 そんな団体なのに、町役場は「ふるさと納税」の看板を、まるで銀行のキャッシュディスペンサーのように使ってお金を引き出す行為をいつまで認め続けるのでしょう?疑問です。

 これまでのように明確な事業計画もないまま、建物や土地を譲渡すると、コミュニティセンターのような旧公共施設がPWJグループを通じて旧村上ファンドの手に渡ってしまう恐れもなしとは言えません。

 大西健丞氏にとって「ヴィラ風の音」は思い入れが強い場所のようです。しかし、株式会社による金もうけの事業で失敗したものを、ふるさと納税で再生を図って失敗し、投資会社に売却する。そして、こんどは自前の施設として、町の公共施設の払い下げを受けようとする。

 NPOの経営者としても、企業の経営者としても、決してほめられたものではありません。

 この際、潔く上島町から撤退し、保護犬事業(ピースワンコ)を除いて赤字部門だらけのPWJ事業のリストラ、再建に専念してはいかがでしょう?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?