1994年9月 渋るリー・クアンユーを口説き落とす~「アジアの未来」日経元社長・鶴田卓彦氏の思い出
元日本経済新聞社長の鶴田卓彦氏が亡くなられました。22日夕、日経電子版の記事で知りました。個人的な付き合いはありませんが、日経で長く働いたものとして、仕事を通じて接した鶴田氏について思い出を振り返ってみたいと思います。
取締役解任求める株主提案
子会社の不正経理や親しい女性が経営する赤坂のバー通いなどが問題とされ、2003年3月に社長退任後は、会長や相談役もわずかな期間で退任しました。横綱審議委員、委員長などとして活躍もされましたが、日経とは縁遠くなっていました。
退任のきっかけは、2003年1月、編集局の部長だった大塚将司氏が鶴田社長を取締役から解任する株主提案を出したことでした。大塚氏は私が旧大蔵省を担当した頃のキャップでした。
私はその2年ほど前、偶然にも子会社ティーシーワークス(TCW)の不正経理を知って社内調査を求めていたので、不正経理への対応状況はある程度知っていました。大塚氏が株主提案を出す前にもその内容について本人から説明を受け、協力を求められましたが、女性問題は初耳でした。
女性問題を鶴田氏への名誉棄損だとする日経による大塚氏解雇、大塚氏を支援するOB株主らによる株主代表訴訟へと混乱が続き、日経をみる世間の目がかなり厳しく、冷ややかなものに変わったことを感じました。
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