「日本のいちばん長い日」と東部軍司令官田中静壱大将、そして副官・塚本素山


 塚本素山と聞いて、銀座の「すきやばし次郎」や「野田岩」を思い浮かべる人はかなりの食通です。いずれも銀座4丁目、地下鉄駅にも通じる塚本素山ビルのテナントです。

 
 「終戦の日」を連想する人は相当に昭和史に精通している方です。塚本素山(改名前は清、1907-1982)は実業家で陸軍士官学校卒の元陸軍少佐。玉音放送を阻止しようと近衛師団長を殺害した宮城内の反乱軍を鎮圧した東部軍司令官・田中静壱(たなかしずいち、1887-1945)の副官を務めていました。

 映画「日本のいちばん長い日」(1967年、東宝)でも、田中大将が反乱の首謀者らを一喝、部下に捕えさせる場面があります。その日の様子を副官の立場から書き記した「皇軍最後の日」は貴重な現代史資料だと思います。大宅壮一氏ら映画原作も多くはこの素山の記録に依拠していると思われます。

 千葉で仕事をしているとき、取材先の一つに素山が創業した塚本総業があり、塚本素山の著書「あゝ皇軍最後の日」(初版1953年、78年三版発行、非売品)を1部頂きました。

 素山によると、終戦の年の8月14日の朝6時、阿南陸軍大臣から田中東部軍司令官に「至急会いたい」という電話がかかってきたそうです。陸軍省で聞かされたのは、終戦という天皇陛下のご聖断を覆すクーデター計画でした。

1、 近衛師団を動かし宮城を占拠し、外部との交通を遮断する
2、 東部軍(注:有楽町第一生命ビル)を動かし、都内の要点に配兵し、要人を拘置し、放送局を占拠する
3、 聖断下るも右の態勢を堅持し謹みて聖慮の御変更を希う
4、 右実施のため陸軍大臣、参謀総長、東部軍司令官、近衛師団長の積極的意見の一致を前提とす

 以上がその計画の内容です。
 
 しかし、東部軍司令官の田中は聖断が下った以上は「速やかに軍を収めて御聖慮に副わねばならない」という気持ちに傾き、東部軍司令官の指揮下にある近衛師団の反乱分子の鎮圧に乗り出します。

 「今日やったことは何というザマだ。聖断ひとたび下れば、絶対にこれに従わなければならない」
 と重々しいが静かに言い切られたと思うと、軍司令官は、石原参謀をグッと睨みつけるなり、
 「検挙せい!」と、一声叫ばれた。
 私は間髪を容れずピタリと背後から石原参謀を押さえつけると、そのまま室外に待機していた憲兵曹長に引渡した。

 それが8月15日早朝のことです。

 御文庫に到着すると、私はクーデターの恐怖の中にある侍従を呼び出して来た。田中軍司令官は、
 「反乱軍の処置は終わりました。陛下にはどうか御安心遊ばされますように」
 との言上方を依頼された。その旨を受けて引き下った侍従は、間もなく戻って来て、
 「只今、奏上いたしましたところ、陛下は親しく閣下にお会いされるとのことでございます」ということである。
  田中大将は、静かに、陛下の御前に進まれて、反乱軍鎮圧の事情をつぶさに御報告申上げられ、
 「何卒お心安らかに遊ばされますように」
 と、陛下の御心痛をお察し申上げられたのであった。陛下には、殊のほか、お喜びになられ、深く御安堵なされたと、拝謁を賜った大将は感涙とともに私に語られたのであった。

 素山の本を読んだ時から、いつか田中静壱大将を主人公とするドラマを観てみたい、と思い続けています。写真は田中司令官が天皇陛下に報告したときの陛下のお言葉を書き残した備忘録の写しです。素山の著書に掲載されています。

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