緊急避妊薬の思い出
妊娠をめぐる自分の身体について誰かにちゃんと教えてもらえたことがなかった。
『フェミニスト現象学』(2020,ナカニシヤ出版)で宮原優さんが、”生理になると急に「妊娠できる身体になったのよ」と説明されるが、まともな性教育がないままにそんなこと言われても恐怖しか与えないのではないか”というようなことを書いていて、すごく納得した。例にもれず私のかつての教師たちも、生理という不条理をそのフレーズ一つで押し切ろうとしていた。その言葉の先はなにもなく、いつも尻切れていて、「自分は妊娠しようと思えばできるらしい」という情報だけがまったくなじまない抽象的な観念のようにふわふわ浮いていた。私はそのフレーズの意味するところをちゃんと知り、自分自身の言葉で捉え直すべきだった。しかしその機会は与えられず、その観念が自分の身と交わりませんようにという切なる願いだけが残った。
小学生から中学生にかけて、「あたしは子供を産まない」がお決まりの決め台詞になった。家の中、学校、おばあちゃんの家、どこでだって言って周っていた。適齢期はほど遠く、そう宣言する差し迫った必要もないのに、なにがあそこまで私を非出産宣言に駆り立てていたのか。多分当時の私は自分が「子どもを産める(かもしれない)性」であることをどうすれば拒否できるかと必死だったし、子どもながらにガッツリおんなぎらいをこじらせていた私は、「お嫁さんになりたい」みたいなことを言う(言わされる)テレビの中の「あるべき女性像」に対して自分だけは違うと反発したかったのだろう。身を粉にして自分たちを育てる母親を内心どこか哀み蔑すむ気持ちもあっただろう。あまりにも産まない産まないとわめく私の横で、母親は気まずそうに「わたしはなみきがいてよかったと思うけどね…」と呟いていた。
二度「緊急避妊薬」を使用したことがある。一度は相手に避妊を拒まれて、二度目は避妊が失敗して(行為中にコンドームが外れた)。判明した時はとてつもない恐怖だった。予期せぬ形で普通の日常が根底からひっくり返される、まるで災害だった。射精はしなかったので「いけるんじゃないか」という楽観と、「どうしよう」という絶望が極端な落差でやってくる(射精なしでも妊娠します)。自分の身体がこんなにも不可解でとらえどころのない代物になることはなかった。なんかでっかい空洞みたいだなって思った。
一度目の時は、なんとか普通の日常にしがみつこうと、翌日朝、大学の授業を休んで人生初の産婦人科に行った。性交後72時間以内に服用すれば妊娠を防げるといういわゆる「緊急避妊薬」(モーニング・アフターピル)を求めた。この段階を逃せば、現在の日本で妊娠を防ぐ方法はほぼなく、もしも妊娠してしまえば、「経口避妊薬」が認可されていない日本では、妊娠後の吸引法や掻爬手術など多額かつ身体的に負担を与える外科手術の中絶方法しか選択肢がない。そのことは学校で配られ私の性に関する最低限をかろうじて形成してくれた生理用品ブランドのロリエの小冊子『おとなになるということ 〜からだノート〜』を読んで知っていた。
錠剤一つ1万数千円か、もしくは数十万の外科手術か、次の生理まで妊娠していないことに賭けるか、選択肢のスケールの落差にめまいがした。
グーグルで検索してたどり着いた産婦人科病院は、コントのセットかよってくらい、いかにもな古めかしげな、町の小さな個人医院だった。老いた男の町医者は私がちょっとした犯罪を犯したかのように徹底して目を合わさず、終始面倒くさそうだった。万引して捕まった後の帰省ってこんな感じなのかな。射精はあったの?どのくらい入れられたの?などなどと、いくつかの問診を終え、「まあ一応飲んでおきますか」といった具合に処方されることになった。費用、1万数千円。「今後は気をつけてくださいね」と捨て台詞を吐かれた。ショックで声が出なかった。私は悪くないのに、の一心で、病院を出て速攻で泣きながら相手に電話した。言い募りアフターピル代の半額支払いを了承させた。「こういうことになるならもうしたくないかも」と言いやがったので怒りちらした。ただただ虚しい(この言動は二人の関係に深い禍根を残す)(それ以来本当に二度とせず、数年経って別れた。だいぶ前の話です)。
錠剤を手渡され、ふらふらと町を彷徨うこと30分、今はなき静岡マルイの二階のナナズグリーンティーにたどり着いた。「ちょっと出血するかも」「ちょっと鈍痛あるかも」といった医師のインフォームドコンセントは最大の不協和音を生み出し、「個人差はあるけど」の一言がより一層惨状のイメージを豊かにさせた。ナナズグリーンティーのへにょへにょのカップに注がれた氷水を片手にいざ飲むぞと勇んだ途端「飲めなかったらどうしよう」と不安になった。私は錠剤を飲むのが極端に下手なのだ。吐き出しちゃったら、もう一回数万円?
飲み込めた。ああよかったと思う間もなく、「アフターピルも100%ではない」と何度も言い募られたことを思い出す。私の普通の日常が戻るまでは次の生理、場合によってはそのさらに次の生理までまだ時間がかかる。
***
あの時の奥のない空洞みたいな恐怖は、今でも私の性行為に、私の自分の身体に対する自己認識に、じっとり影を落としているような気がする。医師の呆れるような顔も、手術になったら1週間は休みたいけどテスト期間どうしようとスケジュール帳を呆然と眺めたことも、手術費用払えるっけ、とにらみつけた預金通帳も、ずっと重たくつきまとっている。付き合った人に貯金があることを知った時、すぐさま「この人なら中絶費用半分出してくれるかも」とほっとした自分にぞっとした。私が飲んだのは緊急避妊薬だけど、その地続きのところにあったのはいつも多額の費用と多大な負担がかかる外科手術による中絶だ。
経口避妊薬を数十倍にも釣り上げようとする人々、緊急避妊薬を市販させまいとする人々、彼らの言動を見るたびに、影はまだまだ濃く、重たくなる。”安く誰でも手に入れられるべきだ”と思うから、私はそれらを要求する。でも、それ以上に私は、自分に今でもまとわりつく、濃くなりすぎた影をなんとか薄めたい。薄めさせて欲しいのだ。これ以上は濃くなっちゃまずい。そろそろ、ちょっとくらいは、自分の身体を肯定させて欲しいのである。
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