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【転職】37歳男が役員という肩書を投げうって転職した話


私は現在37歳・関東に住む2児(4歳・2歳)の父です。

今年2024年、アルバイト→正社員→役員と約20年間勤務した会社を退職し、生まれて初めて「転職活動」というものを行いました。

その結果ありがたいことに最も志望度の高かった会社から内定をいただくことができ、6月より新たな環境で勤務しています。

今回の記事では「なぜ転職に至ったのか」について自身の経験を踏まえながら発信したいと思います。

同じように「30代後半での初の転職」に悩んでいる方を想いながら書き連ねました。

読んでくれた方にとって少しでも参考になることを願っております。

1.転職理由

私が転職を決めた理由。それは「家族との時間を作りたかったから」です。

前職の会社(X社とします)は2000年代に創業し、関東で学習塾や福祉施設等の事業を展開しているザ・中小企業です。

年商は数億円、従業員数はのべ80名程という規模で、私は2005年・大学1年生の頃アルバイト講師として入社しました。

当時はまだ創業したばかりで社員が数名・教室も2拠点のみでしたが、「社員・アルバイト問わず皆で会社を大きくしていこう」という機運に満ちた環境がとても魅力的でした。

それから約20年。

会社の成長とともに様々な経験をさせていただき、X社には公私ともに本当にお世話になりました。

2014年からは役員という立場に任命していただき、経営の何たるか、人材・組織開発の何たるかを学ばせていただきました。

数えきれないほどのたくさんの思い出や、艱難辛苦を共にした仲間もできました。

X社で学んだことや感謝の気持ちはとても一言では表せません。

しかし、私はこの会社を去る決断をしました。

なぜか。

その背景にあったのは、次第に膨れ上がっていったオーナーの方針との不一致です。

2.X社はこんな会社でした

X社にはトップダウンの文化が深く根付いており、オーナーが「右向け右!」と言ったら全員が右を向き「やっぱり左だ!」「いや、右だ右!」となれば直ちに向きを変えるという社風でした。

どの組織にも、それが人と人との集団である以上トップダウンによる朝令暮改や「それってどうなの?」と思うような強引な決断というのは起こり得るものだと思います。

が、その濃度が極めて強かったのがX社です。

それだけならまだしも、オーナーは自分が下した決断が失敗に終わった時

「俺は皆が左だっていうからそうしたんだよ」

という謎のヒラリマントを多用し、自分の非を一切認めないタイプの方でした。

言うだけ言って裏目に出たら周りのせいにする…トップの人間としてそれはどうなの?

と、心の中で何度ツッコんだか分かりません。

しかし誰一人それを口に出すことはせず、皆「ぐいっ」と腹の奥底に飲み込んでいました。

そしてこの「飲み込み」という行為が組織の運営において、また、精神衛生面においてとってもよろしくないんだなということを私は身をもって知ることとなりました。

誰も何も言えない空気

私含めX社の役員は皆アルバイト時代からのメンバーで構成されていました。

一つの会社に一途に身をささげる同志たち…

と言えば聞こえはいいですが、要は「外の世界を知らない腐れ縁」です。

このような閉鎖的な環境の中で最も避けたいのは村八分をくらうこと。

それゆえ「ん?それってどうなの?」「今の発言はさすがにちょっと…」と思うことがあっても

「でもまあそういうものか。オーナーがそう言うんだからきっと正しいんだろうな」

と飲み込むことが良しとされる文化が醸成されていきました。

それに輪をかけるように、オーナーは

「俺は家族を捨ててここまでやってきた」
「俺は24時間365日、時間量で戦ってきた」
「俺は自分がやってきたことしか皆にやらせない」

という3つのフレーズをことあるごとに豪語されていました。

よほどお気に入りだったのでしょう。

「研修」という名目で何度同じ話を聞かされたか分かりません。

唯一の休みであった日曜日にも「24時間365日働いてますか?」というLINEが送られ、少しでも返信が遅くなると昼夜問わず直電がかかってきました。

特に役員に就任してからは、会社の体制に違和感を感じながらも「そういうもの…そういうもの…」と自身に言い聞かせる毎日が続きました。

そんな中、ありがたいことに私にも妻ができ、子供ができました。

そして妻が放った一言が、このしがらみから私を救済してくれたのでした。

3.妻の一言と、いつの間にか成長していた子供の姿

念願の子供を授かってからも、私は「24時間365日」というオーナーの言葉を愚直にも遂行していました。

原動力となっていたのは「やりたいから」ではなく「そうしないと不安だから」というネガティブな感情で、強迫観念に駆られたような状態でした。

当然ながらそれで家庭との両立がうまくいくはずがありません。

程なくして育児はほぼ妻のワンオペ状態となり、夫婦関係は遅からずギスギスしたものへと変わりました。

そんな日々に後ろめたさを感じながらも出社する毎日…

これはさすがにまずいのではいか

と思った私は業務量の見直しについて何度かオーナーに相談を持ちかけました。

しかし返ってくるのは

「子供とあまり会えてないだって?おおそうか!それでこそ役員だ!お前もようやく一人前になってきたな!俺もお前ぐらいの頃は子供の誕生日とか記念日とか関係なく働いたもんだよ。経営者とはそういうものだ」

という自己満足的な話ばかりで事態の進展にはつながりませんでした。

それどころか「自分は頼られている」と気を良くしたのか、相談後は決まって日曜日に送られてくるLINEの頻度が上がり、

「今から〇〇の事業所に行ってこれをしてください」という突発的な業務命令も増えました。

そんなある日、転機が訪れました。

オーナーからの呼び出しがあり急遽仕事着に着替えて家を出ようとしたところ、

妻から涙ながらに「どうしてそこまでやらなきゃいけないの?」と問われたのです。

いや、「問うてくれた」と表現した方が正しいですね。

彼女もきっと相当な勇気を振り絞って放った一言だったと思います。

私はその場で立ち止まり、返答をすることができませんでした。

「なぜここまでやらなきゃいけないのか」

思い当たる理由が何も浮かばなかったからです。

強いて言うなら「オーナーに言われたから?」

でもそれって本当に自分の人生を歩んでると言えるのだろうか…

その時、息子が玄関の所までトコトコ歩いてきました。

その姿を見て

「あ、いつの間に歩けるようになったんだろう」

と思いました。

恥ずかしいことに、仕事では塾で色んな子供たちを見ているくせに、肝心の「自分の息子の成長」を全然見れていなかったのです。

二度と戻らない子供の成長を見逃していたことへの虚しさ

妻をここまで追いつめていたんだな…ということにそれまで気付かなかった愚かさ

色んな感情が一気に押し寄せ、その時私の中である気持ちが固まりました。
それは「この会社を去ろう」という決断です。

堰を切る

【セキヲキル】とはきっとこのことを言うのでしょう。

その日を境に、私が今まで抱えていた違和感、疑問、飲み込んできた数々の思い…が怒涛のように全身を駆け巡りました。

「本当に家族を捨ててまで働かなきゃいけないのか?」

「支え合う家族がいるからこそ仕事ができるのではないのか?」

「24時間365日と言うけれど、それは効率の悪さを露呈しているだけではないのか?」

「世の中には仕事という仕事がごまんと存在していて、その数だけ多様な働き方があるんじゃないのか?」

「そもそも、そういうものってどういうものなんだ?」

ずっと力づくで抑えつけていた分その反動はすさまじく、

引き出しの奥底で長年埃を被っていた「X社を去る」という選択肢がグッと現実味を帯びてきました。

もし妻の一言がなかったら、

もし息子に出会えていなかったら、

私は今もX社に身を置き「役員だから…」「中小企業たるもの…」という呪縛に囚われながら今日も出社していたことでしょう。

そしてnoteという素敵なプラットフォームを知ることもなければ今これを読んでくれている「あなた」に出会うこともありませんでした。

家庭をないがしろにしてまでやらなきゃいけない仕事など地球上どこにも存在しないこと

オーナーはあくまでも「会社のオーナー」であり、「人生のオーナー」は紛れもなく自分自身であること

こんな当たり前のことにようやく気付くことができたのです。

そして迎えた2024年2月の役員会。

ここで私はオーナーに直接辞任の意を伝えました。

今まで何度も「言おうかな…やっぱやめとこ」を繰り返していた言葉を、この時は何のためらいもなくスッと伝えることができました。

4.X社をディスりたい訳ではない

とはいえ、

私はnoteを通して

「前職は超絶ブラックだった」

「こんなひどい仕打ちを受けた」

という被害報告を列挙して「かわいそうな私」を演出したい訳ではありません。

私がお伝えしたいのは、

会社選びにおいて重要なのは「良い/悪い」ではなく「自分に合っているか/合っていないか」のモノサシを使うこと

そうでなければミスマッチが生じる可能性が高まってしまうということです。

ある人にとって「良い」と思えるものが別の人の目には「悪い」と映ったり、

ネットで散々悪評が書かれているお店に行ってみたら自分にとっては意外とアリだったり…

なんてことは日常茶飯事です。

同様に、今回の転職もたまたま私にはX社の方針がフィットしなかったというだけであってそれが万人に共通するとは限りません。

中には「仕事にフルベット」の方が能力を発揮できる方や、そういう環境を望んでいる方だって当然いるはずです。

また、同社が競争の激しい塾業界で20年以上生き残ってこれたのは一貫してこの「仕事にフルベット」という方針を取ったからに他なりません。

何より、「ここまで大変な働き方になるんだ…」ということを十分予測していなかった(その努力を怠った)自分にも落ち度のある話なのです。

ですからX社のやり方を一概に否定することはできませんし、
ましてや悪者に仕立て上げたり攻撃したりするのはナンセンスの極みです。

しかし、特にSNSやブログ上においては「被害報告」だけをまとめたような投稿を見かけることが少なくありません。

そういう記事を目にすると、「ああ、本当に大変だったんだな…」や「さぞ辛かったんだろうな…」という感情がもちろん湧いてきます。

が、「でもそもそもその職場で働こうと決めたのは投稿者自身なんだよな」とも思うのです。

ご多分に漏れず、私の場合も「X社で働こう」と決めたのは他でもない自分自身です。

雇用契約書にハンコを押したのも自分。

「役員にならないか?」と声をかけられたとき二つ返事でYESと答えたのも自分。

仮に後ろから羽交い絞めにされて無理矢理ハンコを押させられたのであれば話は別ですが…

当然そんなことはなく、全ては自分の意思で決めたことです。

確かに「被害報告」を発表することで一時の爽快感は得られます。

しかし過去に起こった出来事をどれだけ吐き出したところでそこから先には進めません。

ですから、私は今、X社での経験は全て「助走期間」だったのだと捉えています。

この20年は、これから新天地で飛躍するための前フリだったのだと

この20年で、何段もの跳び箱をも越えられるロイター板を作ったのだと

そう考えています(ロイター板という言葉を数十年ぶりに使いました笑)

結果は変えられなくても結果の意味は変えられる。

そう考える事で人間は前に進めるのだと、私は信じています。

5.さあ転職だ

最終的に私は「2024年5月31日」をもってX社を去ることが決まりました。

こういう時、本来であれば「次の職場が決まってから上司に言う」がセオリーなのかもしれませんが

私の場合「一刻でも早く」が念頭にありましたので転職先が何も決まっていない中で辞任の日だけが決まりました。

今2月。

職を失うのが5月。

ということは、この3カ月間で転職先が決まらなければプー太郎確定です。

もしそうなったら…

まだ幼い子供2人をどう養っていくのか…

まだまだガッツリ残ってる家のローンはどうするのか…

考え出したら不安は際限なく出てきます。

役員という立場上、失業保険や退職金などもありません。

しかしそれ以上に「どんな状況になってもX社で働き続けるよりはマシ」と思うことができました。

そしてそう思えたことが、自分が下した転職という決断は間違っていなかったという何よりの証拠となりました。

ありがたいことに妻も「一番大事なのは心と体だから」と言ってくれて、私の決断を責めたり転職を急かしたりするような素振りは一切見せずに過ごしてくれました(これが本当にありがたかったです)

こうして私の転職活動が始まりました。

さて何から手を付けよう。

まずは情報収集からかな…

ということでネットで調べてみると、「役員に転職」という情報はあるものの「役員が転職」は中々見つからない。

いや、情報収集も大事だけどそもそも履歴書ってどうやって書くんだっけ?

その前に職務経歴書のとの違いは?

そういや面接ってどんなこと聞かれるの?

あれ、エージェントって使った方がいいんだっけ?

…と、ワニワニパニックのように次から次へとはてなマークが押し寄せてきました。

一つの会社でしか働いたことのない者にとって転職はまさに未知の領域です。

太平洋の真ん中でボートの上からポーンと飛び込んだような心境です。

そんな転職ド素人の私が

・実際何社受けたのか
・どんな準備をしたのか
・面接では何を聞かれどう答えたのか

について、次回発信したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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