柏木公宰のエッセイ 第七十九回「見せる努力と見せない努力」
昔は人がいる前で筋トレをしたり絵の練習をしたりするのに抵抗がありました。
何故かというと人前でやる努力は努力と思えなかったからです。
「僕努力してます!勉強してます!」という下心がみえて、なんかダサいなと思いそういうことをする人を嫌ってました。
努力は隠れてすべきだし、人に見せびらかすものじゃないなと思ってました。
でも最近考え方が変わりました。
努力にも「見せる努力」と「見せない努力」があって質が違うだけなんだなと。
見せない努力というのは隠れて練習勉強したりすることで、自分のペースで集中してできる分、方向性を間違えてしまったり独りよがりになりやすかったりします。
逆に見せる努力は見られることにより、緊張感を持って練習したり客観視を意識したり人のアドバイスを聞くができます。ただし集中しにくかったりブレやすかったりもします。
どちらも違う利点があって、人によってどちらかのスタイルが得意かで分かれるのだと思います。
もちろん一番いいのは両方の努力スタイルをバランス良くやっていくことです。
内面からも外側からも鍛えてあげると「芯」のあるものができあがるのではないでしょうか。