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「聖地巡礼」の話


「聖地巡礼」はロマン

最近になって「聖地巡礼」というものをした。もちろん宗教的なサンクチュアリを訪れるのではなく、アニメのもととなった場所を訪れるものだ。こういった行動は元をたどればシャーロックホームズのファンであるシャーロキアンが起こした行動が元になっているらしい。つまり、大体1900年初頭くらいにはこういった行動はもうあったということだ。そう考えれば今も昔も変わらないな。ちなみに私が行った場所は兵庫県の西宮市と京都府の宇治市である。なんの聖地かは載せてる写真からわかるとおりである。アニメで見たものがこうやって現実世界に存在しているっていうのはかなりグッとくるものがあるように感じる。なんかグッと、わかるかな。自分的にはそれがロマンなんだろうなって感じた…気がする。まあたぶんロマンなんだろう。そうに違いない。うん、きっとそうだ。

西宮北口前

フィクションとノンフィクションの「架け橋」

小説とか映画とか漫画とかそういうのを見てるとだんだん物語に入り込んでくる。のめりこんでいく感じが自分でもわかる。そうやって「フィクション」の世界に思いを馳せる。人間ってのはそういうものだ。だが、その世界の中に自分が行くことは到底かなわない願いである。フィクションとノンフィクションの境界。目には見えないが確かにそこにある高くて超えられない壁だ。しかし、現実にフィクションで出てきたものと同じものがあると、人はフィクションの世界を現実の中で思い馳せることができる。あの公園、あの滝、あの喫茶店、あの道、あの学校、あの…などとその物語の登場人物になったつもりになれる。一時的に境界を超えることができる。そこに自分は一種の「ロマン」を感じた。ここまで書いて自分の表現めっちゃ下手な気がしてきたな。伝わってるか心配だ。

京阪電車 宇治駅

新鮮だから魅力的

なんとなく、こういうのって新鮮だから魅力に感じるんじゃないかって思った。私的にはフィクションという遠い存在にあるものに触れることができるから聖地なんだろうという解釈なのだが、毎日触れていたらもうそれは聖地ではないのでは?と考えた。子供のころおもちゃ屋さんで見たおもちゃがすごく魅力的に感じて買ってもらってから2,3か月遊んだけどそれ以降はなんか飽きてもう遊ばなくなる。みたいなのと同じことになるんじゃないかなーって思った。だから多分そこに永住するーとかは結構きつい部分もあるんじゃないのかって。辺鄙な場所とかだったら余計に無理だろうな。島とか日本の端っことか。たまにだからいいってのもまた「ロマン」なのかもしれんなあ。なんでもロマンって言って解決させてる気がするけど。まあしゃーない。ロマンだから。

喫茶ドリームのクリームソーダ

余談:巡礼したとこの話とか写真

西宮北口も宇治もよかったなあ。ただまあ両方聖地全部巡ったわけではないし、また行きてえよ。また喫茶ドリームでメロンソーダのみてえよ。うまかったよ。ハルヒ坂も登ってねえよ。上りに行きてえ。冬くらいに。宇治もなんか定演が2月くらいにあるみたいだから行きてえ…。京阪電車も乗ってねえよ。乗りてえわ。次行ったら。あとらきすたの聖地も行ってみたいなあ~…

みくるちゃん看板
ハルヒ看板(この記事のヘッダー)
宇治周辺
宇治周辺
宇治市観光センター
京都宇治周辺(久美子ベンチ)
京都駅


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