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敵はどこか!?

元の発端はこのツイートだった。

要約すると、
・慣習からか原稿料などの条件が明確に事前提示されない案件がある
・原稿料を聞けないなどの心労は書き手が被るべきものではない
・原稿料、条件の提示は依頼者の義務
・キャリアのある書き手から「働きかけて」依頼者側の意識と常識を変えなければならない
です。

俳句の世界でも同様の問題は存在します。
総合誌から「いついつまでに10句、エッセイ付きで」というような依頼をたまに受けるのですが、原稿料が書いてあることはまちまちです。雑誌単位でまちまちではなく、企画単位でまちまちなので、慣習というか怠慢というか、そこにあまり意識が向いていないというのが実情のようです。

川上さんは、「キャリアのある書き手から働きかけて依頼者の意識と常識を変えなければならない」とまとめます。私もそのように思います。キャリアという点ではまだまだ足りませんが、今後も継続的に俳句の依頼を受けていこうという自分も、依頼者に働きかけていく必要があると思います。ただそれでも、「条件の事前提示」という論点に絞れば、完全に依頼者側のマターなのです。それだけのはずなんです。だからこれから示す「依頼者に条件提示を求めることなく依頼を受ける趣味の俳句作者は俳句全体の価値を下げている」と述べるこれらのツイートには違和感、もっと踏み込んでいえば誤謬がありますし、問題の解決を遠ざけています。

ふじみんさんと私の目指す具体的なゴールにはそれほどの違いはありません。「納得感」です。そのために事前提示は依頼者のマナーにしてほしいとうものです。私もそう思います。

にもかかわらず、ふじみんさんの矛先は依頼者ではなく書き手の側に向けられています。力関係で言えば強く、数も少ない依頼者の側のマナーが改まればいいだけの問題を、なぜか趣味勢の意識の低さを「俳句の価値を下げている」と批難する。責任の所在も対処法もはっきりしている事前提示の問題に対して、従たる書き手に「俳句の価値を下げている」と中々きつい言葉で「働きかけ」ます。つり合いがとれてなさすぎます。正直わけがわかりません。

その良し悪しはともかく、俳句の世界は基本的にはお金を払って俳句を発表する、あるいは選句してもらう趣味性の高い世界です。そして多くの俳句プレーヤーは環境適応型です。問題の解決はケースバイケースでふじみんさんの言うようにプレーヤーの意識の低さが招く問題もあるでしょう。しかし、条件の事前提示の実現に限って言えば、プレーヤーの側に基本的な非はありません。単純に依頼者の態度が改まれば、環境が変わり、「私は趣味なのでブラックでもいいです」という話にはなりません。もしそういう人がいるなら、依頼者が個別で対応すればいいだけの話です。これ、川上さんも言ってましたね。

さて、なぜふじみんさんがここまで、趣味勢に対して強硬な態度を崩さないのか、もしかしたら

このあたりが原因なのかもしれません。これは意識低いわ。敵はここか。

これにはつづく返信で無邪気過ぎたと述べている通り、また別ツイでは条件提示してほしいと言っている通り、依頼の嬉しさですべてを認めるものではありません。あるならある、なしならなしと言ってくれれば依頼内容によってできるできないやるやらない判断しますし、お気軽にお声がけくださいという気持ちです。

ちなみに事前の条件提示ではなく、作品報酬の低さ、稼げなさ、無報酬の多さなら、依頼者だけの問題ではなくなってくると思います。

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