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なぜ私は炎環賞がとれないのか①第25回炎環賞受賞作選考分析

今年の炎環賞は鈴木健司さんの「スクラップブック」に決定した。炎環賞獲得のために立ち上げた研究グループ「五分の一の会」の所属から去年の私の「みらい賞」、今年の健司さんと2年連続で受賞者が出たことはうれしいが、やはり何より健司さんの作品に力があった。その一言につきるだろう。おめでとうございます。
残念ながら私はコンスタントに句を作ることが難しくなって、みらい賞獲得後は自ら立ち上げた五分の一の会を脱退したが、少数精鋭の作者が同じ目標に向けて批評しあう五分の一の会は、今後も受賞の最有力候補となるだろう。(敬称略)

さて、会を抜けたとはいえ、炎環賞受賞を諦めたわけではない。「「スクラップブック」は受賞に足る力のある作品だった。以上。」では次も闇雲に句を並べることになる。受賞作と選評を分析し、炎環賞の「受賞範囲」を読み取り、次に活かしていく必要がある。またその分析を通して、結社の句風が色濃く反映された「結社賞」という存在についても考えを深めたいと思う。尚、炎環賞受賞作とその選評は炎環2021年11月号に掲載されているので、興味のある人はぜひ見本誌を取り寄せて欲しい。そして、もし炎環が合いそうだと思ったら入会もおすすめである。興味はあるが不安もある場合は私でよければ相談に乗ります。それか私でなくともtwitterには炎環の人が結構いるので聞いてみるのもいいと思います。
見本誌はこちら 

話を戻すが、まず受賞作「スクラップブック」について各選考委員から言及のあった部分(プラスコメント、マイナスコメント)を抽出する。それらをフィルターとして捉え、受賞作の条件や「範囲」を割り出そうと言うのが本稿の狙いである。
炎環賞の選考方法であるが、選考委員が応募作品の中から、特選1作品(3点)、本選5作品以内(2点)、予選10作品以内(1点)を選び、合計得点を算出し、その点数を参考にしながら合議によって決定される。
選考委員は次の10名である。石寒太(主宰)、丹羽美智子、一ノ木文子、関根誠子、齋藤朝比古、田島健一、市ノ瀬遙、柏柳明子、近恵、丑山霞外。主宰はじめ炎環の俳句を熟知した選考委員であるが、当然、受賞作を分析するということは、彼等選考委員の発言を分析(ジャッジ)するということでもある。厳しく臨みたい。

まず「スクラップブック」に点をいれたのは、
特選:石寒太、齋藤朝比古
本選:柏柳明子、丑山霞外
予選:丹間美智子、関根誠子、市ノ瀬遙、近恵
の8名で、計14点獲得している。

選考委員のプラスコメントは次の通り。
石寒太(特選)「特選候補として「スクラップブック」と「骨太」はそれぞれ作り方はちがっているが、その両方とも作者の心がよく書かれてい」た。
斎藤朝比古(特選)「ふらここへ生命線をたどり来し」「味方にはならない人の白靴よ」のような感覚句、「白線に囲まれてゐる枯野かな」のような端正な写生句、「風花の鼻の先より溶けゆけり」のようなほどよき諧味等バランス感覚に優れ、作者の確かな技術と感性に基づいた瑕疵の少ない作品であった」「句の並びや置き方にも本賞に対しての周到な準備と真摯な姿勢が伺われ」
柏柳明子(本選)「飄々と詠みながら「目前の世界や常識」を常に疑っているような視線がうかがわれ、他にはない独自性を感じた。」「声高な主張や強い言葉を使わずとも個性は十分表現できる。そこに力を感じた」
市ノ瀬遙(予選)「全体に上手にまとめられて、力量のある作品だった」
近恵(予選)「一句一句はしっかりとしていて、視点もユニークで推敲もきちんとしている。」
田島健一「形式・内容のバランスが丁度よ」い

マイナスコメントは次の通り。
柏柳明子(本選)「全体に起伏が乏しく内容の掘り下げについて食い足りなさを覚えた」
一ノ木文子「「スクラップブック」これを題とした意図が分からず点をいれなかった」
市ノ瀬遙(予選)「もう少し作者の主張が欲しかった」
近恵(予選)「全体として纏まりに欠ける点と、否定形の句が二十句中三句、似たようなイメージの言葉の句が複数あるなど構成の甘さが気になり予選とした。」
田島健一
「その「丁度よさ」は、いまを生きる私にとってすでに失われたものであり、どこか空虚な気持ちにならざるを得ないようにも感じられました。」

これらをまとめると受賞のポイント
・作者の心が描けている
・技術・慣性・バランス感覚
・瑕疵が少ないこと
・他にない独自性、個性、ユニークさ
・全体的な上手さ・丁度よさ
である。また、マイナスではあるが受賞を妨げるようなものではないポイントは、
・起伏が乏しく食いたりない
・表題の意図が分からない
・作者の主張が薄い
・構成の甘さ
・どこか空虚な気持ちにならざるを得ない「丁度良さ」
となった。短い言葉でポイント化したため、抽象的になり過ぎてしまったが、起伏のある構成や作者の主張に注力するよりは、句自体の独自性や個性、技術、感性、バランス感覚、瑕の少なさに気を使うべきだということが見て取れる。

尚、最終候補作品は次の9作品が選ばれたが、選評を読む限り、個別のプラスポイントやマイナスポイントが受賞条件に影響を与えたり、受賞作を脅かしたりしたとは言えないものだった。候補作品はスクラップブックより点がとれなかったためスクラップブックにとってかわることができなかったのだろう。※は主宰選
「みずの翳」長谷川いづみ 11点(特選1、本選1※、予選6)
「呼吸」このはる紗耶 11点(特選1、本選2、予選4)
「骨太」壬生きりん 11点(特選0、本選5※、予選1)
「火影」星野いのり 10点(特選0、本選3※、予選4)
「夕端居」上山根まどか 9点(特選1、本選0、予選6※)
「逐電」小笠原黒兎 9点(特選0、本選3※、予選3)
「いのち・祈り」北悠休 8点(特選1、本選1、予選3※)
「無色」せきみちこ 8点(特選0、本選3、予選2)
「遺棄」西川火尖 7点(特選1、本選1、予選2※)
なお、候補作品それぞれの評が受賞条件に影響を与えるということはなさそうだが、選者それぞれから漏れてくる応募作品全体に対しての「分かり難さ」への苦言が受賞の前に立ちはだかっているように感じた。

また、石寒太主宰の評価ポイントである「心が描けている」は選評中ではここ以外の言及がなかったが、昨年の第24回炎環賞で最多得点ながら正賞に選ばれなかった「表皮」に対して、「百パーセント虚なら俳句でなくてフィクションの散文を書けばいい。また私は百パーセント虚は採らない。それは嘘っぽくてその人の実ではないからだ。」と述べており、「心が描けている」とは、リアル、それもノンフィクション的なリアルが感じられるかどうかということではないだろうか。また、同じく第24回の選評では「俳句の中に物語性がでるのはいいが、本人ではない物語として読めてしまう」(選考委員不明)とあるように、フィクションと見られたり、作中人物=作者ではないものは、最高点作品であっても、受賞は難しいと考えた方がいいだろう。

これらを踏まえると、
作中主体=作者である、ノンフィクション的な客観写生でまとまりがあり、技術感性バランス感覚に優れ、独自性があり、分かり難いところはなく、全体的に上手い作品が炎環賞に選ばれる可能性が高いといえるだろう。
正直うすうすこういう結果がでるのではないかと思っていたが、それにしても求められすぎな受賞条件である。「スクラップブック」は確かにその条件に合致するかもしれないが、魅力は別のところにある作品である。しかし、条件を探るという趣旨の過程ではどうしても、作品個別の魅力より、最大公約数を満たしているかが企画上目立ってしまうということだろう。
そもそも、この受賞条件は作品が違えばまた変わってくるはずである。たまたまこの25回は結果的にそうなっただけで、次回には次回の、作品の良さを委員がすくいあげるのだろう。ただ、しかし、そうなるとやはり問題は、選考委員の多さである。
選考委員が10人と多いため、高得点を稼ぐことは大前提だが、一人に刺さる魅力より、選外にした委員全員の(点はいれていないが受賞で納得できる)「可」を得る必要があるといえるだろう。

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