風の恋歌、子守歌 ~ 演歌の魅力と日本社会の原風景回帰への想い ~
2020年11月、大学時代の友人が演歌歌手としてデビューするということで、本人に頼まれて書いた紹介文です。その時考えていた音楽に対する想いをここに載せます。
2024年9月 加瀬伊助
ガラガラガラといつもの焼き鳥屋の引き戸を開け、母が紺色の暖簾をファサりとくぐってツカツカと店に入り、私がその後を追う。料理とたばこの煙の漂う温かい店内へ入ると、おもむろに母は父に『いい加減に帰らんか』と金切り声でどやしつける。母は父を宴席から無理やり引っ張り出し、それを見て大人たちはゲラゲラと卑し気な笑い声を響かせる。
幼い私は、怒る母にドキッとしながら恐る恐る店内を見ていた。いそいそと料理を運ぶ店員に、煙にむせながらもせっせと焼き鳥を焼く鉢巻き頭の大将。毎度のことながら、頭の血の気が引いてばつの悪そうにそそくさと店を出る母。のらりくらりと皆にあいさつをしてから、座敷に腰掛けて背中を丸めゆっくり靴を履こうとする父。その父の背中越しの壁に貼られている際どいビキニのお姉さんがグラスジョッキを片手に微笑んでいるポスター。そして、うっすらかかる演歌と酒宴の喧騒が店内に鳴り響く。大人たちの賑わう酒の席には欠かせない歌。それが私にとっての演歌のイメージ。
『私もう一度歌を歌うことになったんよ』。大学時代以来の親しい友人であるまるい由美さんが突然そう伝えてきた。そうして事の顛末と彼女の演歌にかける想いを聞いたことをきっかけにして、私は初めて演歌というものを真剣に考えてみた。私にとって音楽はかけがえのない存在であるが、冒頭に書いたように演歌とは遠い記憶のものくらいしかなかった。
そこへ今回の知らせを受け、まるいさんの再スタートに対し、私に何か彼女を応援できることは無いかと考えてみたのである。そして、それによって見つかったものこそがまさに演歌の持つ日本原風景回帰の力であり、それは私にとって重大な発見であったと同時に、これからの私の持つべき言動の指針にもつながるものでもあった。
2020年11月、まるい由美という人の再スタートと私の演歌への想いをここに記したい。
私は中学3年生の秋にギターをはじめ、『プレイする視点』で音楽に臨んできたために、それ以降はある意味、純粋に音楽を楽しむことができなくなったと思っている。ギターを始めたその瞬間私は、リスナーからプレイヤーになったつもりなのだが、ある意味音楽に対してドライになったと思うのだ。それは悪いことだけではなくむしろ良いことのほうが多いとは思う。ただ、私が最も音楽を『聞くこと』に夢中になり、無我夢中で音楽に没頭していたのは、中学生になってからのたったの2年間であったことは間違いないと思う。これまでの人生で最も音楽をどん欲に探り、聞き求めていたのがまさにその頃であった。あの頃の音楽は聴くことそのものが楽しく、『音楽ってなんて素晴らしいんだ』と本当に心から感じていた頃だったに違いない、と今では思う。
小学校を卒業するころ、『周りの人はみんな流行りの音楽を聴いているんだ』、となぜか当時私はそう思っていて、自分も音楽を聴かなければならないと焦り、誰か好きなアーティストを探さないといけないというような妙な強い焦燥があったのを覚えている。そうして当時流行っていたミスチルのCDアルバムをレンタルしてカセットテープに録音してウォークマンで毎日聞いていた。それは母の手法で、私が物心ついたころから母がそうしてレンタルショップから借りてきた曲をいつも録音して聴いていたので、その母の手法が中学生になってすぐに活きたのである。
ミスチルは今でも私の音楽の原点ではあるが、中学に上がったばかりの私の心を完全に虜にした。文字通り寝る間を惜しんで毎晩聴いた。中学生になって勉強が忙しくなり、勉強しながらでも音楽を聴くことはできたのでいつもそうしていたのだが(教育の点ではそのやり方は推奨されたものではない)、みるみるうちにはまっていった。そしてテレビやラジオの歌番組は欠かさずチェックして、当時のJ-POPの音楽シーンにいたすべてのアーティストの曲を漏らさず聞き、とにかく流行りの音楽を片っ端から吸収しようと没頭していたのがその頃である。
今にしてみれば、あの頃血眼になって探っていたアーティスト達は、時を経て今ではほとんどかすりもしないのだが、、、。当時はといえば、夢中になって全身全霊で曲を聴いて楽しんでいた頃だった。そうでなくなってきたのは、ある意味ではやはりギターを始めてから曲に対する視点が変わったことが大きかったのかもしれない。『音楽は聴くだけじゃなくて演奏するものだ』。私にしてみればそれはまさに、リスナーからプレイヤーへの大転換であった。
中学3年生になって、お年玉を前借りする形でフェンダーのギターを中古で買い、独学でギターを始めた。そのことによってこれまでの音楽を漁るようなスタイルから、一つのアーティストを傾聴して聴きこむスタイルへと変わっていくことになる。それは今の今まで続いている音楽を分析することや理解をすることに繋がっているのだが、それは音楽をする者の特権でもあり、そのこと自体には大変満足している。ただ、その頃から特に自分自身がギターを『弾くこと』を想定して曲を聞くようになり、ジャンルもそういったものに偏っていった。
高校受験を終えてからというもの、書店で買ったバンドスコアを最初から一曲ずつ覚えていき、アルバムの曲すべてを制覇する楽しみを得た私は、勉強もしつつもギターの練習にのめり込んだ。朝から夕方いつのまにか暗くなるまで練習して過ごしたこともあった。無我夢中で練習していたあの日々が今の自分を助けていると思う。そのころには音楽を聞いて楽しむという考えは二の次になり、いかに音楽を上手にプレイできるかという視点が前面に出てきてしまい、そのことは私を演歌という世界から自然と遠ざけることになっていったと思う。当時バンドブームやアコギブームというような世の中の音楽世界の空気の中で、高校・大学と過ごしているうちに私は、音楽の幅や理解は広がっていったが、当時親しい人が誰も聴いていなかった『演歌』という選択肢を当然のように失っていたのである。
私が20代までを過ごした中で、演歌を好んで聞いているという若い人はほぼ皆無だった。唯一大学時代に知り合ったまるいさんだけが『演歌をたしなむ』ということを聞いたくらいであったのだが、実は当時まるいさん自身も演歌を好んではいなかったのである。
一度演歌の世界に身を置き、志半ばで退場した彼女は、『自身の未熟さから当時の自分はもっと若い人の好む曲を歌いたかったので結局はうまくいかなかった』と語ってくれたことがある。当時そのことについて私は深くは聞かなかった。今回のことで演歌に興味を持ち、知り合いに演歌について尋ねてみたりして改めて思ったことだが、若い人はさも当然のように演歌を好まない風潮がある。どうして若い人は演歌を好まないのか。それにはいろいろな原因があると思うのだが、やはりその最たるものは、社会の文化継承の意図的な断絶があったからだと考える。つまり、演歌は日本の文化的土台として継承していくことをできなくさせられたということである。
戦後社会の風潮そのものが特にそうした思想的な断絶を志向してきたからだと言ってしまっても良い。例えば、演歌の持つ魅力を考えるときに、これを『古き良きもの』と伝えるか『古臭いナンセンスなもの』と伝えるかで物事の価値判断は決まるものである。そのプラスのイメージの恩恵を受けずして今日まできたのが演歌であると私はここで言い切る。私の感覚として言えば、演歌は古きダサいものとしてイメージが定着し、存在価値を捻じ曲げられてきたのである。それは私の知る限りでは昨今を通して皆に共通した見解でもあった。なぜそんなことになってしまったのか。その理由やその責任をこの場で追及するには紙幅がもったいないし筋も違うことなので詳説はしないが、その原因については、日本の歩んできた戦前戦後の社会事情を知る私にしてみてはほとんど確信のあることである。演歌は廃れるように仕組まれていたのである。
それは、今回演歌をしっかり聴いてそして改めて興味を持ち、いろいろと調べていくうちに分かったことでもある。このままでは演歌は人々から忘れ去られてしまう。今を生きるすべての世代にとって『演歌』というものは何者であるか。それは、自らが歩み寄り、積極的に触れていかなければその魅力にはたどり着けない希薄なもの、先のない短命な蠟燭の灯そのもの。演歌とはそんなものになってしまっているのである。そこへきて今回、まるい由美という人との縁が私をそこに導いてくれた。まさに一筋の光となって私の目の前に現れたのである。そして今回気付いたこととは、これからの日本の社会の未来を見るうえで非常に重要なキーワードともいえる『日本社会の原風景への回帰』という方向性を見出すための大きな可能性であり、演歌を歌う友人の本当の魅力だったのである。
まるい由美さんという歌い手をできるだけ贔屓目に見ずに言っても、この人の声の美しさを聴いてほしい。演歌の歌い手は他のジャンルの歌い手のなかでも歌がうまくないと務まらないイメージだが、それは、『演歌はメッセージ性が強い音楽だから誤魔化しがきかないから』だとまるいさんは言う。演歌の歌詞には魂がある。歌詞に魂を込めるのが演歌だと。私のこれまでの音楽観では、どうしても曲を聴くとメロディー先行になって聴いてしまい、歌詞を聴き流しがちになるのだが、演歌は歌詞を聴き流してはいけないということを彼女に力説された。
確かに、音楽はメッセージである。音にしても詩にしても、人に情熱や想いを伝えるために音楽があるということを改めて考えさせられた。そうして、私は特別に完成直前の音源を発表前に(!)聴かせてもらいじっくりと聴き入ってこの論評を書かせてもらっているのだが、本当に美しい声に聞き惚れてしまった。多少贔屓目は入るとは思うが、間違いなく傑出した絶妙の作品に仕上がっていると感じた。是非ともCDを聞いて完全な音で聞きたいと思いながらも、演歌を通してまるいさんが伝えようとしていることを全霊で読み解こうとした。
彼女のこれまでの様々な思い入れや、絵にかいたような破天荒な生き様を知る者として、この曲を聴き入るたびにいろいろな想いが見えてきた。『風の恋歌 子守歌...』。優しく、そしてどこか切ない美しい声が直に語り掛けてくる。説得力のある、懐かしい幼いころの記憶が目の前に蘇ってくるような不思議なあたたかい感覚。そうしてこの作品と向き合うことができたことは、私にとって大変貴重な経験で有り、純粋に楽しかった。
のらりくらりとしたベースの演歌のリズムで始まり、アコースティックギターの切ない響きやシンセの堂々とした音色が響き、意外に鋭いエレキギターが随所にはめられ、曲を盛り立てる。最初の頃は私もまさに演歌っぽいなと思いながらこの曲を聴いていて、サブギターのワウの音色の使い方が少し違和感気味に気になっていたが、だんだんと慣れてきた(むしろワウは心地よいと思うようになった)。そこにまるいさんの歌声がその伴奏にのって運ばれてくる。聴いていくうちに歌詞も曲も、本当に洗練されていると思うようになってきた。いい歌だ。ふるさとの母のぬくもりを胸に抱いて今日も生きる。それが最も大事な事だと不意に思わされる。
カップリングの『徒花』はド直球の恋の歌だ。演歌っぽくなく、わかりやすい。『ある意味こっちがメインかも』と当人がいうのもわかる。まるいさんの想いがそのまま届く力強い歌だ。
日本の原風景への回帰とはふるさとへの想いである。私は『風の恋歌』を読み解き、この故郷への想いこそが今の日本のすべての人に伝えるべき『合い言葉』であると結論付けた。そのために欠かせないのが人びとの演歌への回帰であると私は考える。昔懐かしのそれぞれの思い出の情景。日本人の社会に演歌を再び取り戻すべきではないか。
『社会ある所に法あり』とは法学部の学生が一番最初に学ぶ言葉の一つである。人が生きる社会とは魔が潜むものである。人は成長して大人になり、やがて社会に揉まれ、くたくたになりながらも必死に社会に食らいついて生きていくものである。誰しもがそれぞれに大小の悩みや不安を抱えて何十年も生きて行く。それはことのほか長いのである。そこで人々が心の『拠り所』とするのが、幼いころに抱いた母のぬくもりであり、ふるさとの温かさでは無いだろうか。しかし、今の日本の社会において、ふるさとのぬくもりや母のぬくもりをふと思い出してかみしめることのできる人が、はたしてどれだけいるだろうか。今の日本に生きている若い人をはじめ多くの人は、日本のふるさとや自分を育ててくれた母親や父親をどれだけ大事に思うことができているのだろうか。社会にのまれ、荒み苦しんで行く人々が絶えない今の日本の街に、母のぬくもりやふるさとの温かさが染みわたるような世相が、もう失われてしまっているのではないだろうか。
法律家らしく法の話をもう少し続けると、日本は脱亜入欧で欧米に学び、急速に列強の仲間入りを果たす必要があり、急成長した歴史がある。明治維新である。その中で現代化という波と同時に取り入れたのが欧米式の法体系であり、同時に忘れられ、捨て去られたのが土着の道徳心であり慣例法であった。
土着の道徳心や慣例法には日本の文化の土台を形成する風習の核心が多分に含まれていた。これを捨て去った経緯が日本の社会にはある。それを欧米化ともいうが、今風に言うと『グローバリズム』である。グローバリズムは価値観の多様化と称し、土着の文化や慣例や日本の道徳心や伝統を排除し、新しい価値観や技術革新とともに『思想』を推進してきた。グローバリズムの価値観とは聞こえの良い言葉にすぎず、結局は自己主張の肥大化を正当化して自らを主張するための単なる口実だと捉えるべきであろう。これらは社会の魔をさらに加速化させ、日本の社会を混乱させているものの元凶になっていると私は明確に指摘しておきたい。地域に伝わる道徳心や慣例法は、日本の伝統が作り出した古来からの習わしであり、人々の生きる指針であった。その指針や習わしをもとに日本の社会は形成されてきたのである。欧米式の『法律』はデジタルの二元論のような冷徹さこそあれ、思い遣りや優しさを解き、伝えることは少ない。
もちろん欧米法の導入がもたらした利益は確かにあったが、しかし、同時に失われ、忘れ去られてしまった風習や文化がある。そこには、若い者が当然のように年寄りを支え、目上の者を大事にし、家族を大切にする心を育て、衣食住の生活のあらゆるものの中に魂を抱き、大切にしてきた。それが日本人の本当の姿ではなかったのか。
日本は近代化し、列強の仲間入りを果たしたが、同時に大切な何かを失った。しかし、私がここでそのことをあえて指摘したのは、その失われたものを思い出させ、そこに帰るための指標となるものがここにあるからである。それこそが演歌の魂なのである。かつて流行った演歌の多くは、日本の風習や習わしが基礎となった文化そのものを伝えてくれる。そこには本来受け継がれるべき古き良き日本の伝統の物語がつづられているのである。
まるいさんには余命の限られた母がいる。病状が悪くなってからずっと母を自宅で見てきた。実は母の縁もあって、作詞家の冬弓ちひろさんと偶然出会い、まるいさんはもう一度歌を歌う決意をする。それは母のたっての願いでもあった。『テレビで歌うあなたの姿を見てみたい』という母の言葉に背中を押されて、もう一度やろうと決心した。『母の弱った姿を見て時々泣いてしまう』。ふとした時に母も良く涙を流すそうで、人生は本当につらいことの連続だとまるいさんは語ってくれた。母のぬくもりが優しいのはあなたがいるからだと私は伝えたが、その言葉が彼女を勇気づけることができればと願う。
『生きていく』とは生きる意味を問われ続けることであると思う。
人は悲しみを背負って生きている。その悲しみとは人生の終着点である。悲しみをこらえ、少しでも喜びに変えてと心を込めて歌えば、それを聞いた人は安らぎを得ることができる。歌は人に安らぎを与えることができるのである。
私にも母がいる。小さいころの記憶にある強い母ではなく、しわがれた白髪の混じる弱い母である。最近は少し優しい。風の恋歌、子守歌。『あなたにも母がいるでしょう?』と問われているように聞こえる。体いたわり、待っててほしい。母の背中のぬくもり、優しい。このフレーズを聞いて何度も涙が浮かんだ。まさに子守歌であると思った。そしてこれこそが今私たちに必要なものではないかと。
私は音楽によって支えられ、音楽とともに生きてきた。音楽はかけがえのないものだったし、これからもそうであろうと思う。最近になってあの頃聴いていたミスチルの曲をよく歌う。相変わらず曲は練習するために聴くことが多いが、それでも懐かしい『あの頃の曲』が常に自分の中で生きていると思う。また、曲を聞く耳も肥えてきて、本当にいい歌とそうでない歌もわかるようになってきた。人に響く歌とは本当に価値のある歌なのだ。人もそうである。それは今回まるいさんのもとに集まってきてくれた方たちを見てもわかる。ここまでの破格の待遇を受け、今回再スタートとして満を持して再び世に出るのは、まるい由美その人の人となりが示すものそのものである。
まるいさんの歌う美しい歌声に、美しい曲と美しい歌詞が合わさって、純真無垢で混じりのない美しい曲が生まれる。ふるさとを想い、母を想う一途な思いが世の人に届くことだろう。そして人々は気付くはずだ。自分にも母がいて、その母の愛情を一身に受けて自分はふるさとで育ってきたのだということを。父と母にもそれぞれふるさとがあり、そこに息づいていた文化が脈々と受け継がれていたのだということを。演歌がこれほどまでに心に響くのかということを。
演歌を聞くのが楽しくなってきた自分がいる。もっといろんな人の歌ういろんな形の演歌を探求して、深く聞いてみたいと思うのだ。そして演歌の持つ魅力を伝えることが、今の社会を生きる私たち日本人にとって大切なことなのではないか、それこそが、私の使命ではないかとさえ思うのである。
まるい由美という人を通して聞こえてくる美しい演歌。人の生きる切なさと、小さなぬくもりに救いを求める人々の想い。どこまでも蒼く天高く澄み渡るふるさとの空。
風の恋歌、子守歌。
令和2年11月
〔加瀬 伊助〕
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