測量士試験前夜の手記 ~職業訓練校の記憶~ 2018/5/18
試験前日
起床7時。いつも通りに起きてすぐ携帯ゲームのスタミナを全部消費してしまってから行動する。仕事から帰ってきては過去問の繰り返しの日々を送り続けた。いよいよ今日が試験勉強最終日の休日の朝である。体の疲れが取れていない。目がかすむような感じがこびりついていて、目薬を刺すもあまり効いてはいない。
8時にゲームのスタミナを一通り消費し終わる。すぐにまた過去問の繰り返しにかかる。
9時半を過ぎ、予約していた整骨院へ。今日はマッサージの後に酸素ボックスにも入った。ここは不思議な空間で、一時間酸素の充満する閉所で過ごしたが、体の疲労が半端ではないので効果はてきめんだった、気がした。まあゆっくり休めた。
帰宅してからまた過去問の繰り返し。でも本当に準備ができて臨む試験といえるのか。確かに十分準備はしてきたつもりだが、それでももう少し深くまで突っ込んで臨むべきであっただろうに、合格ラインを超えた程度の出来具合である。不安がぬぐえない。そして夕方までまた過去問の繰り返し。
5時になったので明日の準備にかかる。明日の準備もおそらく十分だ。明日寝過ごすこともなかろう。これまでの思いがよぎる。
日記を残すのは久しぶりだが、2016年の12月いっぱいで前社を退職してから、今日までを振り返りたい。
2016年 職業訓練校へ入校
ぼろぼろの精神のままで正月を迎えて始まった準備期間。昨年末に追われるようにして仕事を辞め、自分の身の回りの整理をはじめ、自作の炭焼き小屋も整頓した。犬を従えて、一緒に炭焼き小屋にて炭を焼いて帰って勉強する日々を三か月ほど続けた。そのころ動画を作る方法を覚えたのが一つ大きな成果だったかもしれない。職業訓練校に行くことを決めたのもそのころ。入校試験に落ちてはいけないと、数学などを勉強した。
4月に専門校へ入校。学生生活の始まりだ。若年は19歳から37歳までの20人が一年間学生として共に過ごすこととなった。就職への漠然とした不安を抱えつつも、本当に楽しみにしていた。今思えば、最初のころは時間が経つのがゆっくりだった。レクリエーションや自己紹介をしていたころの緊張感は、本当に学生独特のものだった。もどかしい時間や無駄な時間だと感じてしまうからかもしれない。しかし、そうした時間も本当に楽しめた。
今思うと、今の会社に共に通う親友との出会いはこの時なので、本当に貴重なものであった。こうして期待を胸に抱いて始まった学校では、主に簿記とパソコンを学ぶ。結果として簿記は半端になってしまったものの、パソコンは想定の通りにしっかり学ぶことができた。学校は時が進むにつれて楽しくなり、貴重な時間を過ごすことができた。
雲行きが悪くなる
7月某日。後に世間を騒がすような大問題となる豪雨を迎える。その日の午前中は雨の降り方が尋常じゃなかった。実はその日こそは、弁護士と話をするために学校を早退していた。突然の過去の親父の借金問題である。急に来る人生の何番目かの借金問題のせいで、また精神疾患的事故が我が身に降り掛かっていたのだ。これもあまりの突然のことで、いてもたってもいられないほどの精神的苦痛に悩まされ、苦しんだ。そして同時に彼女と別れることになる。
実質無職で、なおかつ家庭は生涯続く借金問題。いつぞやの頃に引き続き、またズタボロになった。心はどん底で、結婚も諦めて地味に生きていこうと誓うほどに疲弊しつつも、学校は続いた。周りに悟られまいとしつつ、それでも周りの人には心配をかけたし、体も弱った。自分の身には本当につらいことばかり起きていくが、ひいては全部自分が引き起こしたことでしかないし、誰が助けてくれるわけでもない。
それでも踏みとどまり、自分のやれることを自分でやっていこうと決意する。自分だけに強烈に雨が降っているような心境の中、学校は夏休みになった。結局は自分で自分を奮起するしか方法はないのである。
社会人として夏休みを過ごす
夏休み。前年の前職の夏は、会社を辞めることで手いっぱいだったし、実質楽な仕事ではなく、体安めにもとだらだらなんでもない夏を過ごしていた。今年はなんとありがたくも夏休みをいただいた。心はボロボロであったが、収入はあったので最低限気は落ち着いていた。
それでもとにかく自分を甘やかすことをよしとしなかったので、休みの間はずっとひたすらに勉強をしていた。そのころはyoutubeに動画を上げることで何とか活路を見出そうと躍起になっており、そちらのほうも積み重ねをしっかり進めていった。国際政治チャンネルを立ち上げたのもそのころで、誰も見てやしない動画をせっせと上げ続けた。教育系のほうにも活路を考えていたので、簿記の講座用の音声録音も続けた。
そんなある日、専門校友達4人で博物館に行くことになった。県をまたいでの長旅。その時の雰囲気はとても穏やかでいい思い出になった。お盆には家族でハイキングがてらの遊びに遠出もした。家族はみんなどこか暗い。
残暑のくそ暑い中、蝉の声といっしょにせっせと簿記の録音音声を作っていたが、それも終わり秋になる。この頃から、『学校の終わりは早いよ』という先生の言葉がやけに耳に残るようになる。その後、試験の連続であっという間にどんどん時間が過ぎていった。
職業訓練校の冬休み
冬になる。このまま学生のままでいれるといいがそんなことはできない。急にみんなは就職がちらついてきてあわただしくなり、一人、二人と学校を「早退」していった。当然ながら自身にも同じことが訪れる。どこに就職しようか。そうしていくと先生から地区公民館主事の仕事を紹介してもらった。これ幸いと必死で公務員試験を勉強し始める。
短い冬休み。これまた試験勉強のために時間を費やした。2月に学校の最期の思い出として数人の友達と大学のセミナーに参加することにした。実はその時見たホリエモンの言葉が、今の社長とを繋ぎ合わせるカギとなる。『人材を大事にしないやつは社長にはなれない』。
2017年3月 卒業
休みが終わると、みんな就職活動を片手に最後の勉強モードに突入していった。これも本当に特別な時間だったと思う。みんな気持ちが半分で、勉強しているのかいないのよくかわからない、半端な変な空気であった。そして最後に、各々の卒業課題をみんなで作った。思い思いの一年の集大成を、みんなしっかり作っていた。
今思えば職業訓練校ながらも、本当に優秀な生徒が集まったいい学級だったと思う。実は夏休みに数人の友達と上手く慣れ合えずにヘマをしてしまった。ちょっとしたすれ違いだが、それは今でも後悔している。でも、それらを含めてみんないい人たちが集まったと思う。
とにかく勉強しなおして、今の境遇を打破したいと意気込んでいたし、自分はクラスの年長者という責任を負って過ごした学校生活。みんなとはそれなりに距離を置きつつもうまく仲良くなれた。距離を置きたかったわけではないけど、自分の立場上そうするのが良いと思っていて、十分その役を果たせた。
そして、長かったようで短かった学校生活は終わる。公務員は落ちた。
入社して新しい道を
3月の3週目になり今の会社に入社。制服と長靴と安全靴を支給され、測量という全く無関係だった分野の仕事を始めた。そして学校で盟友を得て共に緊張の新職場に向かっていくことに。
はじめはきつかったけれども、前職と比べて圧倒的にやりやすい職場に満足だった。知り合いも多く非常に歓迎されてでのスタートでもあったので本当にいい滑り出しを得た。
5月に後輩も新しく入ってきてすでに教育係的なポジションにもなった。そして、毎日勉強しては携帯ゲームをして、土日には全く勉強したことのない分野の勉強に充てる日々を送ってきた。
測量士試験に臨む
2018年5月。災害関連の仕事で夜遅くまで会社に残る日もあったが、給料も思ったより多くもらい十分満足して取り組めた。古い音楽仲間から連絡があり,バンドの再開と同時進行でさらに別ののバンドにも入るという暴挙に出る。これが8月いっぱいまで響いてしまい、試験に落ちたらそれが悔やまれるがそれも自分が決めたことだ。
ところで借金問題は、おやじの退職金が出たこともあり、劇的に精神が落ち着いてきていた。去年の夏は本当につらかった。
8月が終わり、怒涛の勢いで勉強を開始して9,10月になったころには試験がようやく見えてきた。そして今日というところである。ざっと振り返ってみたが、2016年12月から比べると、圧倒的な充実感がある。人生を切り開くのは自分でしかない。この1年半でいろいろあったが、戻りたいとはとても思えないくらいに努力を重ねた。努力を重ね続けることで人生を得る。明日はそんな日になるといい。そして、明日が終わっても次から次へと待ち受ける難問をこれからもこなしてゆくのだ。
測量士試験前夜 ~職業訓練校の記憶~ 2018/5/18 了
試験の結果↓↓