見出し画像

今日くらいは「なりチャ」の話をしよう

【警告】このタイトルで心がゾワってした人は絶対に読み進めない方がいいです。




皆様はなりチャという文化をご存知だろうか。こんな場末のnoteを読むような脳みそがインターネットの形になってる人ならもちろん知っているだろう。知らない人はググってみよう。インターネットの深淵が見られるぞ。

マンガやゲームなどのキャラクター、あるいはオリジナルキャラクターに“なりきって”やり取りすること。“なりチャ”、 “なり茶”と略される場合もある。

Numan - なりチャ(なりちゃ)とは?
 https://numan.tokyo/words/Olc2K

引用のために調べただけで動悸が止まらなくなってきた。もうやめようかなこの記事。

注意1
前提として置いておきたいのは、「カセダはなりチャを否定していない」ということだ。今でもロールプレイ大好きだし。それを念頭にこの記事を読んでほしい。この記事はただ懐古を目的として書かれたものである。

注意2
本記事ではTRPGのことを「人格やバックボーンを自分で想像したキャラクターを動かす遊び」であるとして論じている。
もちろんTRPGには様々なプレイスタイルがあるし、正解を論じるつもりはないが本記事ではそういうものとして扱う。注意されたし。

今は昔、中学生だった自分に突然「インターネット」が現れた。Androidのタブレットを使って、見ていいものを見たり見てはいけないものを見たりしていた。
人間はまだ脳が柔らかいうちに触れたコンテンツの形に脳が変形する。自分の場合はそれがインターネットだったのだ。悲しいことに。
インターネットは容赦無くユーザーに情報を与える。生まれては消えるSNSの波に揺られる間に、僕はなりチャに出会ったのだ。

僕がなりチャに触れたのは、現在はサービス終了している某SNSだ。オレンジ色のやつ。今は通話アプリになってるやつ。そう、アレ。
今調べたらサ終してるのにアーカイブは残ってて全部読めた。みんな元気してるかな。

なりチャにも色々種類があって、大きく版権とオリジナルで別れる。
版権は既存のアニメやゲームのキャラを用いてなりチャを行う。
オリジナルは自分で世界観に沿った設定のキャラクターを作る。
この二つは決して相反するジャンルではなく、東方projectのキャラクターと幻想郷の世界観に沿ったオリキャラを会話させたりもしていた。

この界隈、思い返してみると結構面白い。
TRPGと違ってダイスロールはおろかシナリオもないので、基本的にみんなやりたい放題だ。普通にワンターンキルとかあったし、打ち合わせもなく恋愛を始めたりもしていた。
だが、あまりにも厳しいと自浄作用が起きる。
これらは「確ロル(確定ロール)」と呼ばれ、ほとんどのコミュニティで違反行為とされていた。
みんな「あのキャラになりたい」という恐ろしいワガママの元集まっているように見えて、「物語を作る」という共通の目的を見上げていたのだ。

メンバーがみな同じ方向を向いているコミュニティというのは、かなり居心地がいい。身近な例だと教習所とかが適切。隣の人と雑談とかはほとんどしないし、みんなで勉強会とかをするわけではないが、ここにいる人間は皆自分と同じ「免許を取りたい」という目的のために集まっている。その安心感は、学校の教室では味わえない。

話が逸れてしまった。

共通目的を持っているのはいいが、確ロルへの規制が厳しいと逆のことが起こる。
恐ろしいことに、「誰も結末を決められない」のだ。
要するに、戦闘が始まるとずっと戦闘が終わらない。どっちかが根負けして負けを認め、降参するか撤退しないと終わらない。(相手のキャラを勝手に殺すわけにはいかないので超悪役でもない限りトドメはささないのが通例)
僕は当時からスピンオフの主人公ポジが好きだったので、そういう時は割と率先して負けていた。本編で目立ちすぎるとスピンオフの話が来ないからだ。

こういうことを考えていたのは確か中学生くらいの頃だったが、中学生のうちにもう出版業界のことを考えていたと思うと変なガキだな、と思う。恥ずかしい。

この戦闘が終わらない現象、TRPGならダイスロールがあるおかげで起こり得ない。キャラシにHPが設定されている以上必ずどちらかが先に力尽きるし、そもそもPvPが発生する状況は稀だ。システムやシナリオによるけど。

打ち合わせについては、そもそも誰もそんな発想を持っていなかった気がする。なりきるスレッドとは別に雑談用のスレッドもあったが、本当に関係ない話をする場所であって打ち合わせなんか全くしていなかった。
架空のキャラ同士が喋っているはずなのに、お互いに探り探りでコミュニケーションを模索しながら進んでいた。なんでそんな妙なところリアルなんだよ。
恋愛のなりチャをするグループもあったが、結構な人数がいるグループ内で誰と誰が恋愛するかなんて決まってないので模索と修羅場の連続だった。

今思えば、なりチャはキャラクターを「自分の生き写し」として見ていたのだろうと思う。もちろん見た目もバックボーンも違うけど。
そういう見方をしていると打ち合わせはしづらくなる。
「じゃあ俺夏祭りの時に告白しますんで!よろしく!」なんて言えない。
TRPGの場合なら
「このキャラなら帰り道にやっと勇気出て告白すると思うんだよね」
「よしそれで行こう」
みたいな打ち合わせもできるのだけど。

あと、なりチャには弱めの「長ロル至上主義」みたいなのがあった。
長ロルとは長文ロールのことで、文字通りキャラの行動を長文で緻密に描くことだ。なぜかみんなやりたがってたな。俺も例に漏れずしっかり書いてたし、比喩とかも頑張って使ってた。文章書く時に
誰も「絶対〇文字以上書け!」なんて言ってなかったのに、相手が長ロルを送ってきたらこちらも長ロルで返すのが礼儀みたいになっていた。理屈じゃなく、そういう文化圏だった。

自分は、なりチャをしていた頃の自分を恥じていない。むしろ誇っている。あの頃の自分がうんうん悩んで長ロルを書いていたからこそ、今の自分がクリエイターを名乗れている気がするから。

最後にこんなツイートを引用して本記事を締めよう。

ちなみに自分は
小五:インターネット
中二:なりチャ
高二:キャンプ
だ。

オタクのテンプレートか?

いいなと思ったら応援しよう!