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配信者がグランドフェスを通してスプラトゥーンが好きだったことを思い出せた話

私は、スプラトゥーン、パラシェルターの使い手としてYouTubeで発信を始めて動画を見てもらえるようになったことで、スプラトゥーンをすることが半分仕事になりました。


嬉しいことですが、ゲームをしていても配信者であるという責任のような重みが強くなっていく感覚がありました。


3の発売に対しては、色々な事情も混ざり合った末、スプラトゥーンそのものが好きかどうかわからなくなるほどのプレッシャーを勝手ながらに感じていた気がします。


しかし、その感覚は月日と共に和らいでいたのか、グランドフェスを迎える2年にして、何かを心待ちにするという感覚を数年ぶりに味わえました。


幸福感ってこういう感じだったなと。


タイム・トライブ(最終日のライブ曲)が4年の活動が流れるように蘇り、演出には心が完敗しました。


スプラトゥーンというゲームで、配信者としての居場所があることが自分の中で大きすぎ、一周回って耐えられなくなっているような、そんな感覚だったんだと、こうして記事に書いてみてやっと気づけるようです。


タイム・トライブの歌詞には、時の流れの意が込められているようですが、それがどこかあのイカ語から感じられたような気がするのは、
「あらかじめ知っていたから」なのか、
「細部までこだわられた作品であることに加えて創っている方々の想いが本当に伝わってきているとかいう夢のある話だから」なのか…


現実主義気味で数年感動を忘れていた私にとっては、自分の心が動いたことがにわかに信じがたい…


ややこしい表現をしましたが、


すごすぎる…
本当に素敵でした


(シオカラーズの振り付け好きすぎた)


という感想です。amiiboでたくさん思い出します…!
過去の映像を残す動画投稿者として、振り返って記事を書く者として、
やっぱり過去派だな…!(無理矢理)


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