“脱福祉”をかんがへる
のべ3年ほど手話cafeや手話BARといった
イベントを立ち上げてきたなかで想うことを、
“脱福祉”をテーマに、つれづれなるままに〜
綴ってみようと思います。
〈 福祉とはなんぞや 〉
(聴覚)障がい者という立場上、
健常者よりも“福祉”というコトバに
比較的まみれてしまいます。笑
いい機会なので、ここいらで一度
“福祉”について調べ直してみました〜。
「公的な配慮・サービスによって社会の成員が等しく受けることのできる充足や安心。幸福な生活環境を公的扶助によって作り出そうとすること。(デジタル大辞泉)」
なるほど……。
まず、ピッと感応したコトバ。
それは、「受ける」。
与える側から受け取る側への
モノ・サービスの移動が一方向的・受動的な
イメージですね。
裏を返せば、“福祉”の場面においては、
受け取る側から与える側への
直接的・能動的な
アクションはまず無い、とみていいでしょう。
〈 “福祉”が生む思考・認知 〉
“福祉”のもつ“一方向性”という性質上、
えてして、我々障がい者は“与えられがち”な
立場にあるわけです。
ハッキリ言えば、
“与えられることに慣れやすい”立場にも
あると言えます。
そうすると、どういう事が起こりやすいか。
「○○をしてもらってアタリマエ」
と思ってしまったり、
「自分に合わせてもらう」
ことしか考えなかったり、
「自分に出来ることで恩返しをする」
といった能動的思考が働かなかったりします。
↑恥ずかしいハナシですが、
これ全て、過去のわたしの思考・認知です…。
ザンゲのつもりで載せました(^^;;
それだけに、このような思考回路を持つ方を
見るたびに“福祉”にどっぷり浸かっていた
過去の自分を彷彿とさせられます。
最近では、こういったコトがありました。
とある聴覚障がい者いわく、
「(教えてもらった)待ち合わせ場所がわからないから、(私の分かる)○○で待ち合わせましょう。」
しかも、この2つの場所の距離は
徒歩5分もかからないほどだったと言います。
「自分に合わせてもらってアタリマエ」
という思考が働いてしまっているのが
よく解ります。
「それでも構わないでしょうか?」すら、
訊か(け)ないわけです。。
タチが悪いのは、
往々にして本人はそれが悪いとも思っていない(気づいてさえいない)ことなのです…。
“無知は罪なり”とはまさしく真なり…
ゾッとしたものです。
私の場合、幸い心ある指導者との出会いが
あったので、無事、覚醒(?)に至りました。
出会いは大切にせねば!!と痛感。。。
〈 “脱福祉”とは【双方向性の福祉】 〉
“脱福祉”を叫んでいる自身とて、
“福祉”の恩恵を受けているわけですし、
決して“福祉”そのものを否定しているわけでは
ないんです。
私はただ、“福祉”の概念を【拡張】させたい
だけでしてん〜。
“一方向性”ではなく、
【双方向性】の福祉への拡張を!
…もともと、イベントの前準備といった
軽い気持ちで始めた手話cafe。
ある時、きこえない人がきこえる人に、
手話を教えては、きこえる人が何らかの
気づきを得てゆく場面を度々見かけるように
なりました。
↑Knotイベントでも最大級の手話cafesalon。
第2土曜日 10-12時 神戸三宮グリーンベリーズにて開催。(参加申込不要。)
きこえない人がきこえる人に与えることも、あってええんとちゃう。
お互いの強みを活かしあっては“受け合う”、
互恵的な福祉のカタチ。
手話cafesalonがさりげなく教えてくれました。
それが〈Knot〉の目的のひとつ、
“脱福祉”のカタチです。
ちなみに、
この手話cafe&BAR運営団体〈Knot〉の
構成員は全て聴覚障がい者です。
うち、80%は20代。
おじさん嬉しい〜笑
といっても、手話cafeに来てくださる
きこえる方も盛り上げてくださったりと、
きこえる方とも一緒に自然に運営して
いってるようなものです。
今では、いろんな特技を持っている
聴覚障がい者の方と繋がっては、
その方の特技を生かしたイベントを
立ち上げて、関西をもっと盛り上げて
いきたいなあと思っています。
ありがとうございます。
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