日本人が無宗教なんてとんでもない。ただ外からのものをありがたがる宗教なだけ。
クリスマスもハロウィンも祝うのは日本的な宗教行為
正月には神社に初詣、年末のクリスマスも祝うし、除夜の鐘を聞く。健康のためにヨガをして、ビジネス系の雑誌にはマインドフルネスや瞑想を薦める記事がなっていて、日本人は無宗教だという方が一定数いますが、逆ですよね。
沖縄のニライカナイや常世の国といった信仰は外の世界をありがたがる風習の表れですよね。
マレビト信仰なんてのも外から来た人を崇める信仰ですが、まさに黒船以来日本人は欧米を崇め奉ってますよね。
こう考えると日本人が信仰厚い民族だとわかりやすいですね。
三島由紀夫があの東大駒場キャンパスのあの場でバカにした丸山眞男はものすごい慧眼で日本人を見通してました。詳しくは以下の本を読んでください。簡単にいうと日本人はその場その場で思想を変えていくもののようです。
ある意味の日本人は古代からあまり宗教の形を変えてないと考えれば宗教研究の最先端は日本しか選べないくらい重要な土地ではないでしょうか?
宗教の研究の舞台としての日本
日本が無宗教でなくその反対であるとすれば、80年代に欧米諸国からエコノミックアニマルと蔑まれたことや萌え文化や変態文化と揶揄されることはかなり示唆に富んだ現象でしょう。
ただ一言いいたいのは触手の文化はアメリカのコンテンツ輸入会社やアメリカのアニメのポルノ視聴者が求めたものでもあったことは知っておいた方がいいです。需要と供給の関係で触手ものを輸出したことは忘れてはいけない。特別日本人が触手好きという訳ではなく触手ものがアメリカで売れたのがよくなかったです。そうでなければくりぃむレモン以降の妹ブームに説明がつかず、また淫妖蟲がエロコンテンツの天下をとっているはずです。
萌と推しの国、日本
石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかもという和歌にも読めるほど萌という言葉自体は古いものですが、萌え文化という時の萌という言葉は何が起源かわからないそうです。いろんな説はありますが、確実な正解はないとのこと。推しという言葉は博報堂の社員が書いたレポートに自身の会社が作り、流行らせたとしていますが、それより前にアイドル追っかけ文化の一つとして使われたものですね。
なんだか起源がわからないものが席巻している国日本はどこにいくんでしょうか?考えてもわからないものです。YouTubeや他の媒体でもそうですが、日本のマンガ、アニメに対する海外の反応をまとめてますが、本当に彼らが私たちと同じように作品を鑑賞しているか、今一度考えたほうがいいのでは?宗教が異なるというのは文化がかなり違うということを理解しないときついことになるとのでは?