『ペイフォワード』映画 感想 ~子はかすがいってのは万国共通?またはキリスト教とは殉死すること?~
あらすじ
社会科の先生が中学生たちに課題を与える。「もしきみたちが世界を変えたいと思ったら、何をするか?」。母親のアル中を気に病み、近所にたむろするホームレスを気遣うトレバー少年は、そんな、自分の周りの決して幸せとは言えない人々に思いを馳せ、ある考えを思いつく。それは、受けた好意を他人に贈る“ペイ・フォワード”という行動だった。
感想
大分前の映画なので、ネタバレとかしまくりながら感想を書いていきます。
メインの三人の関係性
あらすじを読むとなんか壮大な話のような感じですがそんなことはなく、純粋に「家族」の話でした。なぜカッコつき化というとあらすじにも出てくる社会科の先生と主人公のアルコール中毒の母親がいい仲になるまでの話でもあるからです。
11歳の主人公と母親の関係、学生の主人公と先生との関係、家族になろうとしている母親と先生の関係、親子になろうとしている母親、先生の二人と親子になろうとする主人公との関係。
単に登場人物の間に線を引いて関係性を書くような見方ではいかんなと思わせられるストーリーと描写でした。関係性が多層的だからです。
ただ監督が「受けた好意を他人に贈る」というのを描きたかったのか、ホームドラマで終わらなかったので、ラストシーンが私には変な感じでした。
なんかとってもキリスト教
主人公がラスト友達をいじめっ子から助けるため間に入り、いじめっ子の持っていたナイフに刺され、死んでしまいます。まるで教えを説きまわって最後は預言に従って処刑されるイエス・キリストのイメージをよぎらせます。
主人公トレヴァーが「受けた好意を他人に贈る」という教えを説いて回り、その教えがまた伝わり、本人の知らぬところで広まり、最後主人公が死んだときに信者がいっぱいいて家に弔問に来ました、というのはあまりに聖書的、神話的でしょう。ラストが納得いかないという感想をネットをいくつか見ましたが、それはそうでしょう。そういう文化に触れてないから。
子はかすがい?
ホームドラマ的な要素は日本人にも見やすかったのではないでしょうか。落語でおなじみ「子はかすがい」そのままではありませんが、疑似的な父親である社会科の教師と個人的な関係を築きつつ、母親と引き合わせるところなんてまさに子はかすがいです。ただ実の父親でなく、新しい父親と家族になるのもキリスト教的で、イエス・キリストは大工の息子ではなく、神の子だということになってます。
主人公の母親がアル中、その母親もアル中。主人公の先生も家庭内暴力の被害者。つまり今でいうところの毒親問題を扱っているようにも見え、結構現代的な話になってます。さらに日本は高齢化しているので、この映画のなかの話の一歩先を行っていてその憎い親の介護をしたくないというのも描いています。
まとめ
正直、泣けますが、ホームドラマ的なところで泣いてしまい、なんかペイフォワードの個所では何も思いませんでした。
やっぱりペイフォワードは舞台装置でしかないように見えます。真に核となっているのはやはり疑似家族であっても子はかすがいだというところでしょう。