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貨幣はやっぱり商品

信用というより不信感が影響する

皆さんは、農薬入り餃子事件を覚えてますか?若い方だとそもそも知らないかもしれません。

結構前に上のような事件がかつて起きました。その時、日本全体で対象の餃子の買い控えがおきました。餃子自体の価値は変わらなかったのに買い控えが起きました。事件が起きる前と起きた後では何が変わったのでしょうか?
信用貨幣説の方々はここで信用だと思うでしょう。わたしも近いと思ってます。ただ信用度というより不信感の方がわかりやすいです。不信感が上がれば上がるほど購買意欲が落ちるという仕組みに見えます。議論を簡単にするために購買意欲を需要として考えます。不信感が上がれば需要が下がる。しかし、不信感が下がってもなかなか需要は大して上がらない。これはわかりやすいですし、一般的な感覚ともあいます。
この構図は貨幣でも変わりません。信用度が上がったから貨幣価値が上がるのではなく、不信感がないから価値が思ったよりではないけど少し上がる。極端に上がる時は別の要因で上がります。いうほど信用でしょうか?わたしには疑わしく感じます。

貨幣も食品も不信感で需要は変わる。貨幣は何も特別ではない

前節で紹介した餃子のように不祥事が起きた商品はもちろんのこと他にも同じように不信感は需要を減少させます。
例えばタコ。以前は欧米ではデビルフィッシュと呼ばれ食されておらず、漁師によっては海に投げ捨てたと聞きます。食べない、つまり彼らにとっては価値がなかったわけです。日本では価値があるタコは場所によって需要がないのですが、その訳はやはり不信感です。デビルフィッシュ、悪魔の魚という名前から来る不信感が需要を下げていました。
結局貨幣だろうと食品だろうと他の商品だろうと信用が価値に関します。貨幣だけが特別ではないです。ならばもはや商品貨幣でいいじゃないですか?

貨幣なんてのは使いやすければなんでもいい

正直信用貨幣説だと宝くじや保険など金融商品って説明しにくくないですか?宝くじなんてハズレの方が多いから信用も何もなくないですか?
それはさておき、わたしの商品貨幣説は他の方と違うかもしれません。商品貨幣説だと貨幣自体に価値があるという考え方が主流ですが、価値なんてのは人によってバラバラなので全ての商品に固定の価値なんてないという前提のもとわたしは推論を重ねてます。商品はその時その時、人それぞれで価値が変わる無言の交渉ゲームが起きています。またアメリカの映画の刑務所でタバコを通貨代わりにしているのをまた分かるように貨幣なんてものは使いやすく、その場所の権力者が決めたものが選ばれます。
タコもタバコも貨幣も全て商品です。そう思えば、貨幣は国家の商品の一つです。公共サービスと共に国家の提供する商品と思えば国家を市場というゲーム盤にうまく載せることができます。企業であろうと個人であろうと国家だろうと市場のプレイヤーです。国家というのはその権力により市場をかき乱したり、制限をかけたりして特異ですがプレイヤーの一人に落とし込めます。

ビットコインやイーサリアムもその価値は界隈でしか価値がないのと同じです。仮想通貨との付き合いもわたし流の商品として扱えばうまく飲み込めるはずです。

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