雑記帳2:仕事とはなにか?
一般的な社会人を引退して今年の8月でついに10年目を迎える。2012年、日本郵便支店のゆうパック配達員として、所謂非正規雇用が最後の社会人であったわけだが、それ以前から個人としてまたは会社員として、あるいは一応の商人として、私なりに死物狂いで労働に勤しんできたわけだ。しかし、10年前についに力尽きた。度重なる残業も最大で月400時間を超え、疲労とあまりに理不尽な業務に嫌気がさしたのもあるが、労働者として自主退社で不思議と労働保険を合法で満額受け取った事実からして、私の社会人としての責任はある程度評価されても良いのではないかとも思う。理由はこれから先を読めば誰しも頷くと信じたい。さてこの度は長い読み物になってしまった。
最後のご奉公
私の最後の奉公は会社を救うことだったかもしれない。なぜなら、日本郵便を辞めても様々な場面で関わってしまうことが多かったからでもある。色々経験したが、最後の最後である社会人の終わりに。
郵便配達員の多くは私と違って非正規雇用の割合は低いのが日本郵便であり、一方の宅配事業は委託業者と契約社員及び、アルバイトと全く同じ期間雇用社員と呼ばれる非正規雇用で構成されているが、この郵便事業はかなりの割合で不正や事故が多い。ゆうパックはとにかく理不尽で無茶な配送計画が立てられていた。
私が在籍していた時分も、少なくとも数件はそういった不正、事故が多く、総務室長、支店長、課長の更迭、異動、左遷は6年間の中で6回あった。しかし辞めてからも指摘しなければならない事が度重なるのがこの会社というか事業者だった。
ある日の出来事
私が直近で覚えているのは、鉄道に併設されてある歩道・自転車専用の陸橋が近所にあるのだが、その場所は学校や大学の他、乳幼児と一緒に電車を橋の上から眺めるような、比較的静かな住宅街にある。そこをエンジンをかけたまま、郵便配達員がオートバイに乗ったまま渡ることが常態化していた。私はいつも遠くで確認していたが、流石に危険な運転だとわかったのは、橋の上で出会い頭に急ブレーキを踏まれたことだった。
その配達員に話をし、冷静にこの事は公にせざるを得ないので、あなたから警察に電話をするようにと促した。これは決してあなたや会社を恨んでのことではないと。ただこのまま放置しておけば、いずれこの橋の上で幼児がそれとは知らずにバイクと衝突し、悲しい事件を耳にするかもしれないと思ったのだ。
警察は必ず2人ペアで行動するものだが、到着して話をすると道交法では鉄道会社敷設の建造物上の通行規制はないとのことだが、オートバイの通行に関しては明らかに重大事故に繋がる行為だとし、支店ではなく東京の日本郵便本店に連絡するとのことだった。
警察官との会話
私は警察官に言った。『これは会社の体質の問題だろう。あの支店の業務時間は既に8時で終了しているはずだが、この配達員はまだ業務がこの時間でも終わっていない。真面目に配達するなら時間を気にして無謀にならざるも致しかぬこともあるだろう。私はあの配達員にそうならざる仕事を放り投げた彼の上司が許せない。そいつは今無論、定時退社の役員だから、帰宅の途にあるだろうしね』と。私は事情に詳しいことも言い合わせておいた。
警察官は、私の言ったことを全て本部に話したと語った。
責任を担う者が、責任に注力せずに何の社会貢献やサービスが出来ようか?私があの支店に居た頃となんら変わらずこんな事を続けているなんて・・・。私は彼に『不平不満は論外だが、君等が不正や暴力に屈しては駄目だ。配達は人と人の信頼がないと荷物も手紙も託せない。君が事故を起こせば託した人や地域の信頼を失ってしまう。出来ないことは出来ないとキチンと言える会社となるよう、私は敢えて厳しく会社を処分してもらおうと思う』
日本郵便は古い体質の企業なので、トップダウンで物事が決まる。当然地域からのクレームが本部に届くと深夜でも役員は呼び出される。翌日にはOB、地域担当監督者等の偉い人達が冷たい顔で朝から役員全員を会議室に集合させたりするのだ。
責任の所在
後日談だが、やはりというか支店長以下、役員には何らかの処分が下ったのか、病欠で休職していた課長代理がふと気がつけば配達員に混じって同じ業務を行っている。これはこの企業では今後の昇格は帳消しとして降格を意味するのだが、それがこの事象と関係があるのかは私は確認しようもないが、同期の職員曰くにはこの支店では残業は一切本社は認めないという業務改善命令が降りたとのことらしい。残業目当ての労働者には酷だろうが、社会人とは何かを私はこの時実感できたと思う。
やり甲斐とは何か?
社会というのは、無職も含めて様々な人が生きている。ルールや法律が及ばないこともあるだろう。仕事とは業務が始まれば良い意味では奴隷だ。給与と上昇志向を重しに、かつての私も早朝5時まで自分の店のビラまきを続けたことや、成田、川崎、佐倉、伊勢原、座間に本厚木、松戸、この中には重複して何度も仕事に行った場所もあるが、たった一つの業種と会社の都合で引っ越しは8回ほど経験がある。自腹なのでまさに引っ越し貧乏。しかし情熱は人一倍あった。
仕事で言えば木更津、栃木周辺まであるのだが、それにしても依頼というか指名されて行かねばならず、『なんだ君か。じゃあ説明は要らないだろ』と互いに話が通じる職場だったのは今思えば恵まれていた環境が用意されていたのかも知れぬ。社会人として社会から必要とされるのは、どうしたってやり甲斐は感じざるを得ないものだ。
仕事の面白さは上司が持っている
私が時間と労力を差し上げた役員や社長を今でも覚えている。『売上を倍にしたい。』、『もっと良い職場にしたいんだ。』、『この薄汚い職場を人が見ても誇れるものにしたい』・・・・。利益ではなく、ボロ儲けでもなく、それは経営者の夢だったろう。私はいつも引き受けざるを得なかった。前述の日本郵便も結局は当時入社したばかりでの課長の度重なる相談と懇談で私が折れ、今回ばかりは楽な集荷で安く雇われそうだが規定の時間通りに、今度こそプライベートは充実しそうだと膨らむ期待が見事にそれで打ち砕かれたが、その分、随分とその役員には様々お世話になったと今では思う。配達は辛かったが。
課長の説得に折れてしまったので、仕方なく私が業務を変えたまでだ。
その恩義を誰も彼もが当時も今も馬鹿げていると思うか、配達員として余計な業務まで進んで増やして迷惑に感じた社員も多かったろう。ただ私は労働を楽にしたいのではなく、楽しい会社として環境を作りたいという言葉にただ惹かれたのだ。丁度、日本郵便が公社から民間へと移行した時期でもあったので、新しい企業を作るという面白さも。
最後に
だがこの頃思う。謝れば済むとばかりに頭を下げる役員、浮ついた笑顔と妙に明るい声で形は懸命という労働者、いや、これは本当の奴隷のような人々が。彼等に一度聞いてみたいことがある。君らはお金以外に目的はないのか?本当に給金を高くすることで幸せになれると思うのか?果たしてそれは一体誰が喜んでいるのだろうか?
そんなに自分だけが大事か?
これ以上は愚痴になるかもしれないので読み物としてご法度。だが今回のテーマはこの疑問に集約されているだろう。社会を作り生み出す原動力とはなんだろうか?私は決してそれを人の強欲や浮ついた夢ごときでは無いであろうと思いたい。世の中楽しくあれ、だ。