アラサーという名のリュックサックを背負ってみたりしちゃって
25歳になったとき、ああ、もうアラサーなんだ。とすごくテンションが下がった。突然、アラサーという名ののリュックサックを背負ってしまったような感じがした。しかも、かなり重いやつ。
20歳のわたしも、なんなら24歳のわたしも大人であったはずなのに、アラサーという言葉が自分の中に入ってきた途端、何を背負ったんだろう。
そんなわたしも今年28歳になった。いわゆるアラサー真っ只中というところだ。アラサーという名のリュックサックを背負ってから3年が経とうとしている。周りのSNSの投稿には、撮り方を工夫したたくさんの花束達や婚姻届の文字に3つの指輪で囲った写真が増えて、アラサー特有の独特な雰囲気のSNSである。
周りはどんどん変わってゆく。めまぐるしいほどに。未婚のわたしは、それと自分の環境を比べて焦ったりする。
でも、変わらないわたしは、アラサーという名のリュックサックを背負うことに慣れてしまったのか、アラサーの独特な雰囲気に焦るときも、生理周期のように感じてしまうようになっている。
その雰囲気に焦るときは、大体、お腹が空いているときか、睡眠不足のときか、SNSの見過ぎか、本当に生理前のPMSであるかどうかだ。
そういうときは、チョコレートとカフェオレを飲んで、音楽とか聴きながら散歩して、昼寝して、ゆっくりする。だって、周期的なものだから。
そうしているうちに、ザラザラしていたこちら側のコンディションがよくなってくると、アラサーの独特な雰囲気にも何も感じなくなる。
世の中で生きている限り、人間、こういう世代ごとの雰囲気は感じるんだろうか。わたしがアラフォーになったときにもあるのだろうか。
それともアラサー、アラフォーなんて言葉は死語になっているのだろうか。
でも、28歳のうちにその世代ごとの雰囲気と自分の環境や境遇との付き合い方を少しずつ身に付けられたのは宝物だなとおもう。世代ごとに、どんどん重くなりそうなリュックサックの荷物の置き方、リュックサックの扱い方さえ分かっておけば、たとえ、つまづいてもやっていけるんだろうな。
年を取ることは、全然怖いことでも、恥ずかしいことでもないんだし。