幸せって何?という問は、何をやりたいのかという問と同義なのでは
おいしいものに出会えたとき
まだ見ぬ、ポジティブな価値観に出会えたとき
自分に裁量がある仕事をしているとき
パートナーのぬくもりを感じるとき
おいしいね、といって、おいしいね!と言う人がいるとき
晴れた日に干した、乾いたタオルからの香り
いつもの、洗剤の香り
素敵な着物を見つけたとき。着物を着ているとき。
着物を着ている人が、今日は特別な日!とキラキラしている姿を見るとき
誰かが笑っているのを、横でみているとき。
ハイレゾ対応スマホで、ハイレゾ対応イヤホンで音楽を聴いたとき。
サカナクションのハーモニー。
クイーンのコーラス。
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頭の中のわたし
「ヤバイ、まだ書けるぞ。」
(好きな曲の話をしたら止まらない)
...
頭の中のわたし
「でもさ、...ねぇ、それって本当に幸せと言えるの?」
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noteを書いては消して...としているときに、実は幸せについて、以前から考えていたことと似ていることに気づいた。
幸せってなんだ?という言葉ではなく、私が人生の時間を使ってやりたいことってなんだ?ということを。
半年前に出た気づきは、
私はあらゆるものを消費する幸せしか得ていないんじゃないか、ということだった。そして、消費に若干飽きているということ。
そして、最近は、幸せなものとして消費されるようなことをうみだす側に、より大きな面白さや、幸せがあるのではないか、ということだった。
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もともとものづくり業であるけれども、
ここ1年くらいは、仕事で組織向けのサービスを作ってみたり、toB向けに営業してみたり、toC向けの企画をたてたりしていた。
「to組織」のビジネスや仕事は、組織の都合を優先せざるを得ない。頭では分かっているけど、それほど楽しくなかった。
何かを作り出すにしても、私は to個人 の方が幸せを感じるようだ。
例えば、製品の組成を決めて、世に届けるまでの製品開発の仕事。社内調整がクソみたいだったけど、お客様の声が聞けたときには涙が出るほど嬉しかった。そういえば、この業界を志望した理由は「一番安く人を幸せにできるモノだから」だった。
例えば、最近取り組み始めた「コミュニティ作り」。これが、けっこう楽しかったし、幸せを感じることが多い。
来てくれる人が安心できる場を、
来てくれる人が、なかなか満たされない自己承認欲求が満たされて帰ってくれる場を作ることができたらな。そんな想いでやっていた。
コミュニティ作りと並行して、
たまにパートナーの仕事を手伝って、ビールを通してどうやったらこの場を満足して帰ってもらえるだろうと考えることが、けっこう楽しかった。(初の接客業だったけど)
たぶん、誰かの居場所になることで、私の居場所をつくれたら、けっこう幸せなのだろうと思う。
noteにはクリエーターさんがいっぱいいて、その日常をみられてとても幸せ。私も、誰かに消費してもらえるクリエイティブを少しずつ発揮していければなぁと思う。
なーんて、文章を書くと真面目にお堅くなっちゃう。
肩の力抜いてね、ってよく言われるので、肩の力抜いて、ゆるーくのんびり生きるのがしあわせなのかもねぇ。
肩こりの解消。これが実は最高のしあわせなのかも。
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この企画は、あきらとさんの #幸せをテーマに書いてみよう
に寄せて書いたものです。
おしまい。