セルフレビュー「龍樹へのトリビュート」
下記の論考に対する自己批判(吟味)です。
2024/6/2
関係の消失するところ
このように「世界それ自体」を見ようとしたとき、認識が消えてしまうということの事例をもう一つ挙げることが出来る。それは経済における「収支」や「資産と負債」の概念である。つまり、例えば国家間の収支が世界全体で見たとき、相殺されて0になるということは、存在の真理と関係の真理の関係に正確に対応する。
世界を丸ごとそのまま見ようとしたとき、関係の体系である認識は消失してしまうのである。国家の収支も、世界内存在者にとっての認識もともに関係の体系であるがゆえにその全体をすべて考慮しようとすると、関係が消失するため、情報が消失する。
これは知は関係の体系であるということの言い換えである。関係は常に何かと何かの間、何かに対しての関係である。故に、「なにか」に対してではないすべてを見ようとしたとき、それは消失する。そのすべての全体として世界を見たとき、それは関係を持たない。世界それ自体は世界それ自体に対して情報を持たない(全く同じもの、自己自身に対して情報は存在しようがない)。
故にそこには知(関係)は存在せず、消失してしまう。また、逆にここから資本主義経済が本質的に比較と関係の体系であることが示されるだろう。