アントニオ猪木 異世界転生
燃える闘魂、異世界に立つ
追悼の思いで勢いがつき、30分で書いてしまいました。猪木さん、今までありがとう。これからも応援しています。
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(あぁ……)
男は、かすかな吐息を漏らした。
溜め息ともいえない、軽い気体が、自然にそろりと立ち上っていく程度の、優しく、弱弱しい息。
男は今、解放され、心地の良い空間にいた。それは、自らの人生に対する誇りでもある。
まだまだ、やりたいことがある。だから、未練はある。しかしながら、後悔はない。
そんな男だからこそ、この空間での眠りも、心地よく感じられるのだ。
このまま、静かに意識さえも手放して……。
……あぁぁぁ……
そんな静寂を、かすかな、第三者の声が乱した。
ひぃぃぃ……
それも、心地よい声ではない。何者かの悲鳴だ。
それも、遠くから響く、今にもかき消されそうな悲鳴。
(ん……)
悲鳴を聞き、男が、少しだけ目を開く。
人の悲鳴? 本来ならば放っておけないが、今の自分が、何の力になれるのか。
誰か、外の様子を見てきてくれないか。そう呼びかけようとして、近頃すっかり重くなった口を開く。
「おぉい……!」
(!?)
その、思った以上に力強い声に、男自身が驚いた。
張りのある、力強い声。懐かしき自分の声。
(なんだ。今日はずいぶんと体調が……)
そう考えていると、三度、男の声に悲鳴が突き刺さる。この悲鳴もまた、力強く、間近から響いた。
「うわぁぁぁぁっ! ゴブリンだぁ!」
「助けてぇ! こっちに子供が!」
「あぁ!?」
ゴブリン、という言葉の意味はわからなかったが、ただごとではない様子に思わず半身を起こす。
素早く身を起こす動作も久しいものではあったが、今はそんなことを言っていられない。誰かが助けを呼んでいるのだ。
しっかりと目を開き、あたりを見る。彼は今、粗末な小屋の中に寝ていた。枯れた牧草と、乾いた動物の糞の臭いが鼻を刺す。家畜小屋だろうか?
今、自分はどうなっているのか。なぜ、ここにいるのか。数々の疑問はあれど、男はまず、悲鳴の聞こえる方に向かって駆け出した。
「どうしたぁっ!!」
小屋の扉を開けながら叫ぶ。心強く、懐かしい声が喉を震わせる。
「わぁぁぁあっ!」
男の呼びかけに答える者はいなかった。だが、その悲鳴と、眼前の光景が事態を飲み込ませた。
「ギィギギギギギ!」
「なんだ、こいつぁ……」
見たことのない、子供くらいの身長の動物が、手に粗末な剣や棍棒を持って人間たちを襲っていた。
「ギィギィ、ギ!」
「ギギ!」
しかも、その動物は武器を使うのみならず、言語のようなものを使って連携まで取っている。世界中を飛び回った男ですら、初めて見る生き物だ。
だが、今はそんなことを言ってはいられない。そいつらが人々を襲っているのだ。男が走り出す。足は軽々と動いた。パラオでの合宿で鍛え直した健脚が復活していた。
「きゃぁぁあっ!」
今まさに、若い娘に錆びた剣を振りおろそうとしている小鬼がいた。だが、間合いはすでに男のものだった。
「ダァッ!」
技も何もない。勢いのままに前蹴りを繰り出す。身長の低い小鬼は、ちょうど顔面に蹴りを食らう形となり吹っ飛んだ。
「ギ!?」
周囲にいた小鬼たちが戸惑いの声をあげる。
その間に、男は吹き飛んだ小鬼が落とした剣を拾い上げる。
「これ、本物じゃねーか……」
緊急事態ということで小鬼に蹴りは入れたが、男は、眼前の光景が何かの撮影なのではないかと疑っていた。だが、手の中にある剣は錆びてはいるが本物で、今、助けた娘も、足に負傷し血を流している。
「わけわかんねぇが、どうやら本当に……」
「危ない!」
男に救われた少女が叫ぶ。
「ギィ!」
男が剣を確認している間に、別の小鬼が背後からとびかかってきていた。完全に背後を取った形。男は錆びた剣を手にしてはいるが、その剣での迎撃も間に合うとは思えなかった……が。
「シャァッ!」
男は、手にした剣を躊躇いなく手放しながら、体を前傾させた。その勢いのまま、矢のように右足を後ろに突き出す。
ドン……!
先ほどの前蹴りとは比較にならない衝撃音。小鬼の腹の中で鳴るパキボキという骨折音が少女の耳にも響いた。
そのまま小鬼は数メートルも吹き飛ばされ、近くの家屋の外壁に叩きつけられた。そのまま、小鬼はピクリとも動かない。
トラースキック。空手で言う後ろ蹴り。
「さっきは手加減したが、どうやら撮影じゃなさそうなんでな……」
身を起こしながら悠々と男がつぶやく。
「ギ!?」
武器も用いず、一撃で仲間を倒した男の出現に、周囲のゴブリンたちの手も止まる。
「ギィ、ギギ!」
生意気にも互いに声をかけ合い、男の周囲を囲み始める。「強い奴がいる、あいつから先にやるぞ」といったところか。
「はっ、それでいい」
小鬼たちが男に集中することで、村人が襲われることはなくなった。下手に人質を取られるより、そちらの方が男にとっても楽だった。
「私も……手伝います」
先ほど助けた少女が、足の怪我を押して立ち上がる。見れば、娘もまた剣を構えており、体には防具のようなものを着けている。少女は用心棒のような役目を負っているのだろうか。
「ありがたいが、お嬢さんは怪我をしている。自分の身だけ守ってくれれば十分だ」
小鬼の力量はだいたい掴めた。その数は10、視界の外からさらに集まってくるとしても20には至るまい
「この私が来たんだ。今日はえらく体調もいい。あとは任せておきなさい」
「は、はぁ……あ、あなたは一体……?」
隣に立った少女が、男に問いかける。その言葉に、男は苦笑した。
「これでも、けっこう有名人のつもりだったんだがな……」
だが、ここはかなりの僻地にある村のようだ。電線の類も見られず、テレビやラジオがあるかも怪しい。自分を知らないのも無理はないかもしれない。
ならば、あらためて、自分の名を告げなければなるまい。
「私は……いや、俺は」
心の中から沸き立つ闘魂とともに、男は口調を変えた。ふてぶてしい笑みがその口元に浮かぶ。
「猪木……アントニオ猪木だ」
ゴブリンの群れにファイティングポーズを取りながら、男はそう名乗った。
今、地球の英雄であるアントニオ猪木の名が、異世界にも轟き渡ろうとしていた……。
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終わり。追悼の思いで勢いで書いたので……気分によって続きも書きたいです。