遅咲き棋士のリストラ回避録【連続お仕事小説】その1
「リストラ?俺が?」思わず飲んでいたビールを吹き出しそうになる。
「馬鹿、声がデカイ」同期の高村がなだめるが、事実上の戦力外通告を受けた身としては驚かずにはいられない。利益を出せず赤字を垂れ流したり、労働者不足で事業継続が困難になり止むを得ず突然リストラ対象になる労働者もいるだろう。俺のように。俺の場合_相庭葎は普通の会社員ではなく、囲碁のプロ棋士なのだが。この物語は俺がリストラを回避するための物語だ。
「相庭!しっかりしろ」虚空を見つめていたら同期の高村九段に肩を揺さぶられる。「リストラじゃなくて引退勧告な」と高村が続ける。「同じだろ…せっかく遅咲きの棋士と言われるほど勝てるようになってきたのに…」と吐き捨てる。
「囲碁の競技人口が減っているのは知っているな」高村が口を開く。
「ああ…一時期は競技人口が400万人に増えたけど今じゃ130万人を切りそうなんだよな」
「隣の将棋界はブームが起きて競技人口が増えているが、囲碁は100万人を切るのも時間の問題だ」
「キカンが囲碁普及に力を入れてこなかった結果だろ?それと俺の引退勧告に何の関係がある?」
キカンとはプロ棋士をまとめる日本囲碁機関の略で囲碁の関係者はキカンと略している。
「そう言われると返す言葉も無い」
項垂れる高村は早咲きで20代の頃に複数タイトルを獲り、失冠した今も人望は厚く35歳で理事会のメンバーに抜擢された。
片や同学年の俺は高村と同期採用でありながらタイトル戦とは縁遠く五段のままだ。やっとタイトル戦をかけたリーグ入りまで残り1つまで来たのに…。
「キカンの方針はプロ野球みたいに有望な若手をどんどん棋士として採用するが、30代以降の成績を残せていない棋士には引退勧告することにしたんだ」高村が肩を落とす。
「30代後半でもタイトルを獲った事例はあるだろ?足切りが早すぎないか?」思わず食って掛かる。
「だから35歳になった時点で六段に到達していない者に引退勧告することにした。もちろんお前だけじゃない」肩を落としたまま高村がうめく。
残ったビールを飲みほして「人気の将棋プロは約150人、斜陽の囲碁棋士は約450人…多すぎるし理屈は分かる」そう理屈は。
「教えてくれてありがとう、高村」
「待て相庭…お前にはまだ昇段する可能性がある」高村の眼が変わる。
俺はまだ34歳だが35歳まで残り1ヶ月しかない。昇段するには通算の勝ち星を積み上げる必要があるが六段まで15勝ほど不足しているはずだ。
「相庭、今日の棋星戦の最終予選準決勝に勝っただろ」
棋星戦は囲碁の大きなタイトルで、次の1局に勝てば念願の挑戦者を決めるリーグ入りとなる。
「ああ…中押しで」
「決勝に勝ってリーグ入りしろ!そうすれば規定で六段に昇段できる」
高村から引退勧告の対象者で、六段に昇段して回避できる可能性があるのは俺くらいである事、引退勧告は近々で公にするから口外せず棋星戦リーグ入りをかけた最終予選決勝に集中するように言われた。居酒屋を出て高村と別れ、状況を整理しようと自販機で飲み物を買ったところでスマホが鳴った。
その2に続く
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