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小田巻蒸し

きっと誰にでも思い出の食べ物ってあるのだろうと思うのですが、私にとってのそれは「小田巻蒸し」。子供の頃、何度も母が作ってくれた食べ物です。

その味は優しく温かく。私はいっぱい母に愛されていたんだなあと感じるのです。そして、この時があったからこそ、また今の私もいるんだろうなあと思うわけです。

食を振り返ることは人生を振り返ること。そんな気がしています。だから、食を大切にしたいのです。


子供の頃過ごした場所

私は、幼少期から体に障害がありました。いつまでも一人で歩けず運動発達の遅れを察した母は、私を子供療育センターというところに連れていきました。そこで、私は「脳性麻痺」と診断されました(のちにそれは誤診であることが判明しますが)。

ここに入所してリハビリを受けたらどうだという医師からの勧めがあったらしく、私は子供療育センターで生活することになりました。2歳くらいの時からだったのだろうと思いますが、一時退所したこともありましたが、結局中学生までここで過ごしたのでした。

まだ小さい頃だった為、当時の記憶は曖昧で覚えていないことも多いですが、私はいつもお気に入りの女の子の人形を持ち歩いていました。その女の子の人形にリハビリの先生が鼻の穴をマジックで描いたことは記憶に残っています😅

ここには障害の重い子供たちも多く入所していました。私も小さい頃は年上のお兄さんお姉さんに可愛がってもらいましたが、自分が大きくなると下の子の面倒もみるようになりました。妹が欲しかった私は、下の子の着替えや食事の介助まで手伝っていました。当時はあまり規制もなく、なんでも許された時代だったのでしょう。私が手伝いしてありがとうと言ってくれる職員はいても、危ないからしてはダメと制止する職員はいませんでした。こんな場所で、私はのんびりと過ごしていました。

週末の外泊

平日は子供療育センターで過ごし、週末の土曜日は家に1泊し日曜日にまた戻ってくるという生活でした。

私の母は、当時病院で薬剤師をしていました。また薬局長でもあり責任の重い立場でした。そんな中でも、母は片道1時間半の距離をほぼ毎週迎えに来て外泊させてくれました。父のことを話せば長くなるので今回は割愛しますが、父にはあまり協力を求めることはできませんでした。母は土曜日午前中仕事をし、終わったその足で私を迎えに来て日曜日はまたすぐ送っていくということを何年も続けてくれました。

当時は日曜日しか休日はなかったですが、母の休日は私の送迎で終わっていました。毎日病院勤務で仕事も忙しくて、家のことも全部して体もしんどかっただろうなあと思います。母がどうしても迎えに来れず今週は外泊できないというような時もありました。これだけいつも頑張ってくれているのだし仕事なんだから仕方ないのに、それなのに母に対して「何で!」と怒ってしまうような子供でした。

土曜日の夜のごちそう

外泊した土曜日の夜は、決まって「小田巻蒸し」でした。なぜそうなったのかはわかりませんが、我が家の定番でした。

「今日もうどんの入ったやつ作って」。帰りの車の中では母におねだりをしていました。これを食べると家に帰ってきたんだなあという実感が湧いてきます。同時に、また明日には戻らないといけないんだという気持ちも入り混じります。

小田巻蒸しというと、寒い時にフーフーしながら食べるイメージかもしれませんが我が家では私が外泊した土曜の夜の決まり事みたいになっていて年中食べていました。姉たちも覚えていて、今でもそれが話題に上がります。

この食べ物は、私たち家族にとっての思い出の食べ物なのです。母が作ってくれた小田巻蒸し。叶うならもう一度、丼いっぱいに食べたいなあと思わずにはいられません。

人を知る。生き方を知る。

子供の頃に食べた物。旅先で食べた物。好きな人と一緒に食べた物。人には誰でも思い出に残る食べ物ってあるのではないかと思います。

食を通してその人を知る。その人が大切にしてきたもの、価値観、人生観、生き様を知る。それを語ることで、自分自身にとっても大切なことが見えてくる気がします。

食を通してあなたのことを教えてください。食を大切にすることは、自分も相手の生き方も大切にすることにつながってくるのではないかと思います。

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