関わり続けること
かなり久しぶりに書きます(-_-;)
今回つけたタイトル「関わり続けること」、これは私が臨床現場において最も大切にしていることです。
でも、関わり続けることって時に難しく感じることがあります。特に人生の最終段階においては。私は役に立てているのか、もうすぐ亡くなるかもしれないこの方に対し何ができるのか。とてもとても悩みます。
悩みながら、でも最期まで関わり続けることにはどんな意味があるのでしょうか。
言語聴覚士は食べるリハビリに携わる仕事をしています。食べることは生死に関わる為、何らかの障害や病気によって食べることが難しいと判断した場合それは「死」を意味することになります。
もう患者さんは食べられなくて「死」が近いのだから、リハビリの必要はありません。終了で良いです。そう医師から言われることも少なくはありません。
あるパーキンソン病の患者さんがいました。パーキンソン病は症状が徐々に進行していく疾患です。その重症度を表すHoehn & Yahr重症度分類では、最も重いⅤ度でした。
評価の結果、口から十分な栄養を摂取していくことは難しいとチームで判断をしました。ご本人は、まだ少なからずご自身の意思を伝えることが可能でした。ご本人、ご家族とも胃瘻などのいわゆる延命治療は希望されず、「看取り」の方針となりました。最終的には在宅で看たいとご家族は希望され、退院までの間リハビリを終了することなく介入を続けました。
口から十分な栄養は摂れなくとも、まだ食べることが可能でした。しかし、状態によっては食べられない日もありました。
食べられない日でも、口腔ケアや色々なお話しをしながら過ごす時間を重ねました。そんなこんなで10日間程度のお付き合いでしたが、患者さんは自宅へと退院されました。
それから1カ月ほど経った頃、担当ケアマネさんからこの患者さんが亡くなられたこと、家に帰っても病院で歌った歌を奥様と口ずさんだり最期は大好きなお酒も味わわれたとお聞きしました。
それを聞いて、病院で退院するまで関わりを持てたことは意味があったのではないかなと感じたのです。
以来、私はよりいっそう患者さんとの最期の時間を大切に過ごしたいと思うようになりました。
残された後世の為にも。関わるスタッフの為にも。